2013年11月11日月曜日

現代パリの「落ち穂拾い」、都市の論理が生む貧困現象

フランスでは「落ち穂拾い」はパリなどの大都市の論理が生産する貧困を象徴する現象となって現れている。「落ち穂拾い」とは勿論、フランソワ・ミレーの同名の作品を思い出してもよい。むしろそれが当然の思考の成り行きであるとも思える。なにしろミレーは社会派で、彼の「落ち穂拾い」には農奴の世界を髣髴させる馬にまたがった領主の姿とその前で腰を低くして働く無数の貧しい百姓の姿が描かれているからである。これは実際にオルセー美術館へ行って近くで見ないとわからないことではある。ミレーの「落ち穂拾い」の絵を、単に畠に採り残された麦の穂を集めている3人の女性の描写だけしか見とれないでいるとしたらそれは、絵の鑑賞が本でなされているからであろう。(本文の初出 / 公開日時: 2010年7月19日 @ 21:13  )

定期市場 (写真撮影/筆者)
フランスの定期市場は毎週2~3回午前中か午後に街路や広場を舞台に商店街に近い場所でおこなわれる場合が多い。そこには野菜や果物、魚や肉類などの商品が並ぶのだが、市の終わりごろになると一般客とは異なる人々が集まってくるのが普通だ。これをグラヌー(落ち穂拾い)といっている。

グラヌーには失業者や、貧困移民などに混じって、最近では貧しい学生、青年労働者の姿が増えてきているようだ。都市の分け合いと分配の平等と博愛の思想とは、富者が履き捨てた後の残りかすのことであった。定期市の開かれる日は、新鮮な食品や買い得品を求める人々で街路の賑わいは戦場のようになる。
定期市場 (写真撮影/筆者)
まだ食べられそうな品物も捨てられている。フランスでは畑のジャガイモなども収穫が終われば貧しい人々や欲しい人々が拾うことが許されていたが最近は変わってきているという。
定期市場 (写真撮影/筆者)
パリのような国際的な大都市には多くの富豪が世界から集まり、有閑階級として暮らしている者が増加している。フランス人学生でも大学生活はパリでは両親に相当な所得がないと田舎から出てきてアパート暮らしはできない。パリで暮らす人々や外国人学生の場合でもそれは同じ事である。市場はそういった階級者たちへの品揃えを狙った高級品の商売の側面もある。パリの市場でもグルネル街と20区当たりの市場とでは様相がまるで違う。
定期市場 (写真撮影/筆者)
定期市の後で、ハトと同じように残り物を拾う高齢者。
定期市場 (写真撮影/筆者)
市の清掃員は市場の商いが終わると、「落ち穂拾い」の人々のことなど気にもせずに仕事に取りかかった。しかし、わたしが聞くと食べられそうなものを歩道側に残しておくのだと清掃員の一人はいった。最近はこの定期市場に集まる常連が増えている。市場の店主に残り物のキープを事前に注文している者もいるという。