2011年11月12日土曜日

11月11日、サルコジの国民を分断する「歴史の利用」に、オランドは反対

11月11日は第一次世界大戦の日だが、スエズ戦争、北アフリカ戦争、バルカン戦争、中東戦争、チャッド戦争、コートジボワール戦争、アフガニスタン戦争など、フランスのために死んだ全ての兵士の記念日とすることを法律化することを巧みな思いつきで提言してみせたサルコジ大統領を、2012年度の社会党(PS)仏大統領選挙候補のフランソワ・オランド氏は批判している。歴史観の相違からか、オランド氏は、この日には論戦を好まなかったようだが、11月11日は第一次世界大戦の日であり、それぞれ意義があって他の戦争とは全て一緒にはできないとした。国民を分断することに歴史を利用しているサルコジ氏のやり方に反対している。オランド氏は歴史を将来の連帯のために役立てようと考えていて、特別な日を設け記念物を作ってそれへの参加の義務、学校でギ・モッケの手記を強制的に読ませるようなやり方には国民の怨念を呼び覚ましフランスを分断させることになりがちだ。オランド氏はこれに反対しているのだ。

フランス国営放送テレビA2が写しだしたサルコジ大統領のパリ凱旋門下の無名戦士の墓での演説ではフランスのために死んだあらゆる全ての兵士に捧げる日としてこの11月11日を法律化することを宣言した。そして驚くことには、この政治の舞台に小中学生(8歳、9歳、9.5歳、11歳)を列席させて8歳の黒人の少年の体を後押しして署名させている姿が写ったことである。

この大統領と列席の4人の未成年者たちはみな死亡した兵士の子供であるというが。それは戦争の怨念をこの日に植えつけたいのであろうか。この問題はあえて大人が子供に署名させるべきことなのだろうか?

当ブログの読者は未生怨太子(みしょうおんたいし)の怨念が殺害の源になっていることについては知っているはずである。キリスト教世界の戦争観や殺害観にはどこまでも救済がなく疑問は残った。

一方、ヨーロッパエコロジー・緑の党(EELV)のエバ・ジョリ大統領選挙候補は、11月11日を平和のための欧州の日にしようと提言している。

11月11日は、戦争を認めることが目的ではないはずだ。ましてや戦争を肯定して、それで死亡した兵士を弔うことをいくら合法化したとしてもそれだけでは無くなった兵士は浮かばれないだろう。そうではなくてそのような戦争で命を落とさせた国家の誤りを許さないことが大事なのではないか。

エバ・ジョリ欧州議員の発言にはそういう思想の筋が看過できるところがある。本当は、戦争のない平和な社会の実現を誓う日でなければならないのだ。戦争で人を殺すことを認めないことを誓う日でなければならない。自分たちの父親の戦死を合法化することに子供たちは署名などしてはならないのではないか。

戦争記念日をいくら定めて追悼してみたところで、国家のための戦死は正当化できるものではない。それを許してしまう思想こそが、また、前提として戦争を認めてしまっている思想こそが恐ろしいのである。この危険で人間尊厳の軽くなった考えを一般化させてはならないだろう。


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