2011年2月13日日曜日

仏民放テレビTF1のサルコジ発言に、元法務大臣バダンテール氏が批判

11日元法務大臣であるロベール・バダンテール氏は、前夜10日にサルコジ大統領寄りの民放テレビTF1でフランス国民を前にして9人のジャーナリストが質問したことに関しサルコジ氏の回答を嘆いたと、左派系のリベラシオン紙(2011年2月12-13日号)のインタビューで話している。多くのフランス人がこの放送に期待していたが、同テレビ局がサルコジ大統領に用意した9人の質問者は皆なおとなしく遠慮していて突っ込んだ質問がなかった。サルコジ大統領に体よく丸め込まれていたようだ。このテレビ放映を見た、フランスで死刑廃止を実現させた人権問題の専門家として有名なバダンテール元法務大臣が次のようなコメントを語った。
リベラシオン紙で、元法務大臣のバダンテール氏は、サルコジ大統領は青少年が憲法を読めるとでも考えているのだろうか?と批判した。リベラシオン(2011年2月12-13日号)
エジプトの革命の陰にフランスでは裁判所を非難するサルコジ大統領が問題になって判事らがかってない抗議のストを起こしている。リベラシオン紙は元法務大臣にこれに関してインタビューした。バダンテール氏のインタビューが掲載されたリベラシオン(2011年2月12-13日号)

-あなたは司法界のサルコジ大統領に対する抗議(ナントを初めフランス全国の殆どの裁判所が抗議のストを行った。【関連記事】参照)をどのように考えますか?

私は半世紀ほどこの司法界に携わってきたが、このような大統領に対する反逆を私は見たことが無い。オルレアン訪問時に発言されたニコラ・サルコジの発言が発火点になっている。しかしその爆発には長い期間が前に横たわっていた。まず私がいいたいのは裁判官が職業的誤りを犯しているのであればそれは裁かれなければならないということである。裁判で決まれば同業組合の連帯は許されない。しかしサルコジ大統領がオルレアンでいったのは「もし誤りがあれば、制裁があることになるだろう」というのではないのです。大統領がいったのは誤りがあったといった。しかも司法調査をして結果を聞いてからではなくてその前にいっている。たしかにこの事件(レティシアさんがばらばらに死体が発見されてでてきたこと)は恐ろしい犯罪である。大統領が「誤りがある」と宣言したことは、これは裁判官が犯罪に便宜を貸したということになる。この大統領の言葉は犯罪を追跡する使命を帯びた判事にたいする恐ろしい告訴を意味するものである。

-10日夜、テレビ放映されたサルコジ大統領の演技はこのことを臭わせているでしょうか?

2002年以来絶えずサルコジ氏は裁判所への疑念を表明してきている。わたしは彼が今回のテレビで意識的に前内務大臣としての役割を嬉々として示したという事だけをいっておく。(・・・)フランスの裁判所はヨーロッパで最高ではないが、財源も貧しいなかで、裁判官はその位置を立派にまっとうしてきた。

-財源が不足しているということだが、あなたが法務大臣だった時と状況は異なるのか?

フランス裁判所の貧困は第二次世界大戦以来の構造的なものである。(・・・)残念ながら裁判所はフランス政府の優先的な関心ではないようで貧困化の状態だ。1998から予算が増えたが犯罪の増加に比べ釣り合いがとれたものとなっていない。

-ニコラ・サルコジは未青年の裁判改革を発表したが、これをあなたはどう考えるのか?

私の理解したことを繰り返すと、「現代の子供は戦後の子供のそれとは全くことなる!彼等は大きく筋肉づいている!」といっている。危険性はけっして筋肉の問題ではないのであるが。ちびの物担ぎの兵士を考えてみるとよい。サルコジは現代の青年と1945年、1950年代の青年とを比較している。私はその時代にいた。子供が大きくなったが父親がいない世代だ。(父親たちは)囚人となりドイツに連行されて行った。フランス国外で戦争をしていた。占領下の恐るべき不適合の中に生きていた。(・・・)その世代の政治家はレジスタンスに参加した人たちで、青年の道徳に責任があることを知っていた。そういう背景のもとに1945年の青少年の裁判法ができている。その基礎を否定すべきではない。

つまり、子供は青少年は成長している存在であるということだ。ゴヤの絵にあるような小さな縮小された大人ではないということである。ニコラ・サルコジは青少年が憲法の法典文を読めると信じているのだろうか?青少年の裁判は特別な指導員と判事によって別に考えることを守っておく必要があると話している。(続く)