2011年2月11日金曜日

サルコジ仏大統領抗議は 再度の司法権介入から グルノーブル「再犯者」裁判に1つの起源

今日2月10日のナントではフランス全国から判事、弁護士など司法界関係、また警察や刑務所関係者などが、サルコジ大統領の裁判現場の状況を理解しない早急な判断となんの調べもなしに独断で処罰を求めるやり方に怒って2000人の抗議のストを決行した。すでに裁判所を尊厳していないサルコジの方向性は、グルノーブル「再犯者」裁判に1つの起源があるともいわれている。パリ裁判所前にも裁判所関係者が1500人も集まり「もし裁判所を尊厳しなければいったい民主主義は実現するのか」とサルコジのやり方を批判している。全国のほぼ全部の裁判所195ヶ所の内170ヶ所がストに突入して裁判所の業務が停止された。裁判所の数が縮小化され犯罪件数は増える一方で裁判官の処理能力には限界がでていた。話し合いを要求しても取り合わない政府が最終的に発表しのがサルコジ大統領の今回の処罰発言であった。
グルノーブル東にあるウリアージュでのカジノ強盗事件からサルコジ大統領の裁判所への口出し介入で対立する1つの起源が始まった。レティシア事件はその引き金であった。レティシアさんを誘拐殺害したとされるトニー・メイヨン氏は再犯者であった。この二つの事件には「再犯者」を早急に「犯罪者」視したがるサルコジ大統領の見方が問題の奥にあるようだ。(写真撮影/筆者)
サルコジ大統領への司法界からの抗議ストの直接の始まりは以下のような事件がきっかけになった。

トニー・メイヨンという青年によって若い女性のレティシアさん(18歳)が誘拐され殺害されたとされる事件だが、これは、1月18日にロワール川河口のサンナザール造船所の対岸のポルニック付近でレティシアさんが失踪して、容疑者としてトニー・メイヨン氏が1月20日に逮捕。2月1日にナントとサンナゼールの中間のロワール右岸のラボー(Lavau)の沼からレティシアさんの遺体の一部が見つかた。メイヨン青年は黙秘権を行使したままでいた。

この殺害の容疑者の裁判をナントの裁判所が急がなかったとして腹を立てたサルコジ大統領が2月3日、裁判所と警察をしかりつけて、判事と警官に対して、「機能してない。責任者を処罰する」などと早急な告発をした。これが引き金になってサルコジへの抗議ストがおきた。サルコジ大統領が司法界に身勝手な口出しをしたからである。

フランス警察組合の中心的なSNOPと SGP-FOでも判事や弁護士と同様に、レティシア事件でニコラ・サルコジに対する不満が爆発した。

2010年7月15日夜から16日にかけてグルノーブル東部10キロほどにある化粧品で世界的に有名なウリアージュにあるカジノ強盗事件で青年一人(カリム・ブドーダ)はこれを追跡した警察との撃ち合いで死亡したが、もう一人の犯人と目される青年モンスィフ・ガボー氏(25歳)が後で逮捕されて取調べられた。

グルノーブル裁判所ではガボー容疑者は数度に渡り犯罪を犯していた再犯者ではあったが「明確な証拠がない」ことから、2010年9月2日に司法監察下に置いて釈放を宣告した。

またガボー氏の弁護士ドニ・ドレフュス氏も、「噂をもとにして裁くことはできない」と判事の判決を評価し、「司法権の独立が守られた」としている。


▲サルコジのグルノーブル宣言

この2010年7月中旬にウリアージュで起きたカジノ強盗事件が発展して、2010年7月31日のサルコジ大統領による外国人を両親に持つ子弟が警察など国家権力の代行員にたいする反抗には国籍剥奪を適応して取り締まるというグルノーブル発言となる。その直後に始まったのが、ルーマニアのロマ人を人種的差別で特化して、フランス法務省通達令を県知事に出した。ロマ人を国外排斥する事件がフランスでおきている。これが国際人権団体や国連、欧州議会の目にとまり国際人権裁判所を後ろに控えた大きな批判及び論議となっていったのである。

フランス通信(AFP)などによるとこのカジノ強盗事件の裁判結果にサルコジ大統領は直ぐに反応し、翌日の2010年9月3日には、訪問先のディジョン南のコット・ドールで記者会見して、「私は、この違反者を逮捕した警察に(裁判所が釈放したことで)悪い思いを抱かせることになる」といっている。

司法監察下に置いたことに関しては、「このようにして自由にしたのは理解するのに困難なことである」と、容疑者なのにこれを違反者と見なして裁断して発言していることが問題になった。

司法権への大統領の介入が問題になっているわけだ、が、それと警察の逮捕を評価する言葉になってもいるのが注目される。

サルコジ大統領のこの発言のあったのは9月3日だが、その前日に裁判所の判決が出て即座に憤慨の声を挙げているのが友人サルコジ氏から元移民大臣の席を作ってもらっていたブリス・オルトフゥ内務大臣であった。

警察が裁判所の判決に不満を抱き、かつよく思わない態度にでるのは当然のなりゆきであった。以後しだいに裁判所と警察官との対立は、パリ北近郊のボビニー裁判所での警察組合の裁判抗議などに見られるように増長していった。

2010年9月16日グルノーブル裁判所がモンスィフ・ガボー氏の司法監察下の判決を確定した時には警察組合からの批判が再び巻き起こっている。その1つに、「この判決は我々(警察)には少しひどすぎる。なぜならばガボー氏は既に同様な事件で告訴されている人物「再犯者」なのだから」というものがある。この「再犯者」がそのまま「犯罪人」であるという見方というのは、裁判官の見解とは大きく相違するものであったようだ。

これは警察組合の県書記長の発言であったとメディアは伝えているが、既に見たようにこれは、2010年9月3日の訪問先ブルゴーニュ地方のコット・ドールで記者会見したサルコジ大統領の再犯者への見方そのものでもあったわけだ。

しかしグルノーブルの青年暴動で活躍して政府に褒められていた機動隊(CNRS)も、今月2011年2月初めのブリス・オルトフゥ内務大臣による機動隊の連帯組織の縮小化政策で、一気に反意が翻された。警察は政府に反意を表明して、今日2月10日のナントやフランス各地でのサルコジ大統領を批判する抗議のデモを警察組合が参加支持することになったのである。