2011年1月20日木曜日

チュニジア革命の前夜。仏大統領官邸エリゼ宮殿に連絡が ベンアリ亡命拒否は地中海の上で?

チュニジア革命の前夜。チュニジア在フランス大使はチュニジアのジン・アビディン・ベンアリ前大統領が14日午後に亡命する少し前に、仏大統領官邸エリゼ宮殿と仏外務省に「ベンアリが体勢を盛り返してきた」と電話とテレグラムで知らせていたばかりであったことを匿名希望のある外交官は政治風刺と暴露の専門週刊紙カナール・アンシュネ(19日)に明かした。
『カナール・アンシュネ』(2011年1月19日号 )
また同紙はフランスの大統領官邸も仏外務省もベンアリが亡命するまでは、チュニジアの政変に特に気もかけずに無感知であったと指摘している。14日夜の20時のフランス国営放送・テレビA2はベンアリが逃亡したことでフィヨン首相や閣僚を緊急に大統領官邸に呼んでベンアリを受け入れるかどうか?協議中であるとだけ伝えている。この時点ではベンアリが地中海のどこにいるのかは詳しく報道されてない。

米在チュニジア大使などは「市民はベンアリ一族に対し2年来マフィアのようだと見ている」など[米国はチュニジア社会の大旋回を嗅ぎ付けていた」とカナール・アンシュネ紙に話している。それに対しチュニジア在の仏軍やフランス対外情報治安総局(DGSE)などがフランス政府にチュニジアの政治的変化に注意を喚起してきたが、チュニジアの青年が焼身自殺をはかった後も長期にわたり一向に反応せず大統領も外務省無関心で楽観的だったことを批判している。

14日のチュニジア革命が起こる少し前(12日)初めてこの問題にフランス政府スポークスマンであるフランソワ・バロワン仏財務大臣が回答している。チュニジアとの歴史的な関係から「チュニジアはフランスの旧保護領であり友情がある」と強調して、「干渉などすることはフランス外交の筋道としてできないことだ」と述べた。ベンアリの専制的腐敗政治を指摘することも批判することもなかった。

チュニジア大使館付きの軍隊などでは、昨年10月国防相と大統領官邸エリゼ宮殿に対し「ベンアリの犯罪行為」を詳しく報告したが全然理解されなかったとカナール・アンシュネに話しているという。

14日夜遅くにチュニジア飛行場を飛び立ったベンアリを乗せた飛行機は、地中海を一路北進しフランス領内に入った段階でサルコジ大統領はフランスへの亡命拒否を採決したという事態になっていた。ベンアリもがっがりしたかもしれないが、それ以上にフランス情報局の幹部や大使は残念がっているのではないかということだ。カナール・アンシュネによると14日にチュニジアからのベンアリの飛行機は当初はパリ南西近郊のベリエール近くのビルクーブレ軍用飛行場に到着すると見られていたと書いている。

アラン・ジュッペ防衛相はボルドーで17日に記者会見して「間違いなく我々は、専制的な警察国家体制を前に失望したチュニジア市民の意見の高まりを過小評価していた」と反省の言葉をのべた。

12日には「フランス警察の(暴動阻止)の対処力をチュニジアに伝授する」として、独裁者ベンアリを支援する立場をとったことで糾されていたミッシェル・アイオマリ外務大臣(前内相、元防衛相、MAM)は、このジュッペ氏の話に関して「どう思うか」とのジャーナリストの質問にも自己正当化を繰り返している。これが再び野党などから大きな批判をよんでいる。

ベンアリが亡命をはかった14日には、ミッシェル・アイオマリ外務大臣(前内相、元防衛相、MAM)自身が口走ったように、同氏は南仏の高級保養地として知られるサン・ジャン・ド・リッズにいた。

このことからも、カナール・アンシュネは友好国チュニジアの革命という非常事態の気配さえもMAMは気が付いてなかったのはたしかだと見ている。