青年は大学を出ていたが不安定な青果物の行商をしていた。市の警察は許可証をもってないとして商品を取り押さえいたという。
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青年が死亡したのは年があけて1月4日であった。が、この間にチュニジアの民衆による政府の不正汚職や住宅政策、失業を訴えてのデモは各地でひろがっていた。
フランスのミッシェル・アイオマリ外務大臣(前内相、元防衛相、MAM)らはこの期間(12月26日から1月1日)にチュニジアのベンアリ独裁政権に近い人物からジェット機旅行や豪華ホテルのクリスマス休暇家族旅行の無料奉仕を受けていた。
チュニジアのベンアリがフランスに向けて亡命を企てたのは1月14日の夕刻であった。地中海を飛び一路パリを目指すが、マルセイユ付近の海上で方向を急に変えマルタ島をへて深夜過ぎにサウジアラビア王国に到着している。その頃にパリのサルコジ大統領は閣議を開きベンアリの受け入れを中止した模様だ。パリのチュニジア大使館やパリ北部近郊のブルージュ軍事飛行場には警察を待機させてベンアリのフランス亡命に備えていたという。
アイオマリ外務大臣らは友好国だとかチュニジア人が好きだとかいった。また自分たちのチュニジア旅行前には革命の動きは無く焼身自殺は起こってなかったなどとMAMの配偶者オリエ国会連絡相は誤った理解を表明してしまっていた。彼等はチュニジアの民衆の独裁下の苦しみを理解することも支持することもこれではできないのが当然であった。
そしてこの政府重鎮らの失態をサルコジ大統領も否認するどころか、前任の大統領などの例をだしながら自分たちが独裁者たちから招待旅行や贈り物を提供されて当然だと正当化してみせた。
しかし有名なジャーナリストのアラン・デュアメール氏はこの政治家を丸ごと全部同じく捉えるのは誤りで、ジョスパン社会党前首相などはどんな招待旅行でもホテルや飛行機の代金を必ず自分で支払っていたとテレビで説明している。
ブウアジジ氏の妻や子供たちも高圧電柱に登り住宅と仕事を政府の責任者に要求し、自殺すると宣言していたらしい。
パリに本部を持つ国際人権擁護連盟(FIDH)のスワニー・ベルハッサン女史は、社会的抗議で悲劇的な結果を引き起こした原因に関し国家審議会で調査すべきであると主張している。
5日夜のフランス国営放送・テレビA2によるとチュニジアでのメディアの報道は規制され警察がデモを制止しているという。
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