2011年1月10日月曜日

仏政府に捕虜交換の意思なし、サルコジ大統領は「テロに指図は受けない」と ニジェールの仏人釈放で仏軍「戦闘開始」を許可

9日夕刻アラン・ジュッペ仏防衛相(元首相)は2人のフランス人がニジェールの首都ニアメーで7日夜に誘拐されて8日夜中に死体で発見された事件に関し民放テレビTF1の質問にこたえた。「誘拐者とそれを追跡したニジェール軍隊及びフランス軍隊との間での撃ち合いでは、2人の青年は死亡したのか?それとも誘拐犯人に射殺されたのか?」との質問である。

「テロに指図はうけない」 「戦闘開始を承認」

「テロに指図はうけない」 「戦闘開始を承認」
サルコジ大統領はフランス軍の将軍でもある

一方、サルコジ大統領の軍隊の「戦闘開始」指令に関しては、テロリスク事務所のアンヌ・ジュデセリィ所長は、仏軍とニジェール軍との武力介入で、9月にニジェールで誘拐されマリに連れて行かれたままでいるフランス原子力産業のリーダーであるアレバ社の社員ら5人の生命が危険になる恐れがあるとしている。理由はフランス政府が捕虜交換(救済)の意思がないことが今回の介入でわかったからだと語っている。

▼サルコジ大統領の仏軍「戦闘開始」の指令

ジュッペ防衛相はチェリー・ブカド大佐がいう「誘拐された2人を救出するニジェール軍とフランス軍による共同作戦の最中に死亡して見つかった。今の時点では最終的な調査の結論は出せないが2人は殺害されていた」とう見解を引いて答えとしている。これに関しサルコジ大統領は9日にはコメントを拒否していたが10日に旧植民地のアンチーユ諸島からサルコジ大統領が戦闘開始の指令を出していたことがフランス国営放送・テレビA2でも映像で報道された。そこではサルコジ大統領が以前にも発言していた「テロリズムのさ指図は受けない」という発言が今回も繰り返されている。

ジュッペ氏のいう「大変な決定が将軍である大統領によって(戦闘開始)の決定宣言がなされた」ことの理由には、誘拐されて彼等の本拠地の隠れ家に連れて行かれるとその後の捕虜の取り扱いが大変なことが推測されるからだという。またもう1つのリスクはフランスはテロリズムに対し何も戦えないという証拠を出すことになってしまう。そういうことから今回の「重大なサルコジ大統領の決定」がなされたとジュッペ氏は説明し「これに我々は全責任をもつ」と宣言した。

ニジェール政府スポークスマンであるラオウアリ・ダン・ダハ氏によると、誘拐者と撃ちあいをしたが、彼等は網の目をくぐり抜けて逃走したといっている。同スポークスマンは誘拐犯人は過激派イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ(AQMI)だとするのには疑問があるとしている。チェリー・ブカド大佐は誘拐者を多数殺害したといっているが殺害した数字を上げてはいない。

7日夕刻首都ニアメーのレストランで武装したターバンを巻いたアラブ語を話す4人に2人(25歳)のフランス人青年が誘拐された。2人は軍隊との打ち合いの最中に死亡したと8日には伝えられていた。これは軍隊との打ち合いの最中だったと報告された。9日昼のフランス国営放送・テレビA2など各種メディアによると200キロほど離れたマリ国境へ逃走する誘拐犯人を追跡したニジェール軍隊とフランス軍による追跡で、夜も視界が効く装置を装備した仏軍監視飛行機のアトランテック-2も参加したことが報じられた。犯人が追い詰められて殺害をはかったらしいと見られている。

殺害されたとする2人のフランス人はフランス北部のリール近くのランセィールの出身で来週予定されていたアントワンヌ・レオクール氏(25歳)のニジェール婦人との結婚式に参加するために友人のバンサン・デロワ氏(25歳)が当地へ訪問していた。2人は近所の幼友達であった。レオクール氏はアフリカのドイツの国際医療支援NGO非政府組織で2年ほど働いていた。

誘拐現場の目撃者によると犯人は4人いてアラブ語を話しターバンを巻いていたが色は白かったといっている。誘拐する時にターバンがずれ落ちて顔が見えたらしい。

▼西サハラでの≪フランス人誘拐とテロと解放≫

2010年9月20日には過激派イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ(Aqmi)側からニジェールのアレバ社員誘拐の犯行声明が15日から16日にかけて声明がアルジャジーラ放送からだされたが。その誘拐の予告は二週間ほど前に直接にニジェールのウラニューム採掘所のある現地アレバ社に通知されていた。   

2010年4月にニジェールで誘拐され同年7月24日にマリで殺害された人道支援活動家のフランス人ミッシェル・ジェルマノー氏(78)の場合では、誘拐者の過激派イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ(Aqmi)との釈放の交渉はなかった。それはフランス政府がテロリストとの交渉は一切ありえないという態度に出ていて、ジェルマノー氏の救命の手段として身代金交渉をしようとはしなかったためだ。


ジェルマノー氏の釈放の交渉はフランス側からは無かった。Aqmiは7月25日までの期限を定めていたが、Aqmiの基地が襲撃されて兵士が7人死亡した。その復讐としてジェルマノー氏が殺害されたとAqmi側から声明が出たがその後の25日をまって、サルコジ大統領はジェルマノー氏の死亡を宣言している。25日は殺害執行のタイムリミットになっていたからだと考えられる。
ジェルマノー氏追悼集会で。(写真撮影/筆者)
モラン国防大臣のテレビでの説明では、カタールの中東の衛星テレビ局アルジャジーラの死亡報道(23日)を信じる他には、フランス側にはジェルマノー氏の死亡を確認する根拠は何もなかったと答えている。そのために殺害執行予告の25日をまってサルコジ大統領の死亡宣言が出されたと考えられる。

ジェルマノー氏を救出できなかった理由をクシュネル外務大臣は「交渉できなかったのはアルカイダ(Aqmi)からの正式な要求が提示されなかったためだ」としている。が、これはいいわけにすぎない。

スペイン政府は8月に身代金を支払ってスペイン人2人をアルカイダ(Aqmi)から解放するのに成功した。フランスのサルコジ大統領はこのスペインの解放交渉を暗に批判しながら、テロとの交渉は絶対に有り得ないと論じている。また、「身代金を支払ったり、(誘拐された)罪の無い人と交換で(テロリストの)囚人捕虜を解放するというだけが唯一の作戦ではない」と宣言していた。


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