2011年2月22日火曜日

カダフィの息子はリビアの総ての河が血で染まるまで戦うと宣言、時機を逸した米仏の批判

2月20日、テレビでカダフィ大佐の息子セイフ・アル-イスラムは「最後の銃の一発まで戦う」「リビアの総ての河が血になるまで戦う」「リビアはチュニジアやエジプトとは違う」などと恐ろしい宣言をした。ONU国連や米仏の批判が21日になってようやく始まった。その間に400人もの人が殺害されている。余りにも時機を逸していて遅すぎたのではないか。2月21日になってようやく国連の潘基文事務総長がリビアのカダフィ大佐と電話で40分ほど話し「即刻に暴力をやめるよう要求した」とスポークスマンいっている。同スポークスマンはリビア軍隊は飛行機とヘリコプターから民衆に向けて撃ったと発表している。
ヒラリー・クリントン米国務長官やサルコジ大統領も同様な要求をこの21日になってした。しかしすでに多くの人が死亡してしまった。もっと早急な処置はできなかったのかと悔やまれる。また独裁者には凶器になる武器を売ってきた欧米の責任は重く、死の商人にならないとも限らない。


21日トリポリのファクルーム(Fachloum)やタジョラ(Tajoura)地区の人々の証言では、アフリカの傭兵がヘリコプターから通行人を無差別攻撃して撃っているという。セイフ・アル-イスラムは町から離れた軍事倉庫の爆撃は認めたがベンガルやトリポリの町での爆撃は否定している。

2月15日以来リビアで開始された独裁者ムアマル・カダフィ大佐が国外へ出てゆく要求が始まりカダフィの軍隊が抗議の民衆に銃弾を浴びる激しい襲撃をしている。

これまでに300人から400人もの人が死んでいるのではと人権普及国際連盟 (FIDH)ではみている。



リビアの町が市民の手に陥落 カダフィは最後まで「殉死」の覚悟でトリポリの宮殿に篭城

23日18時45分にニューヨーク・タイムズ紙の記者が首都トリポリ近くのタジュラ(Tajura)が市民の手に落ちたと伝えている。トリポリのカダフィは宮殿で最後の篭城となったようだ。2月23日16時10分リビアの戦闘機がリビア東部に自爆墜落した。これは北部のベンガジ(Benghazi)を爆撃せよとのカダフィの指令を蹴ったものでパイロットは飛び降りた模様。

機種はロシア製らしい。人権普及国際連盟 (FIDH)によると少なくても640人が死亡しているという。ベンガジに批判しているフランス人の医者は2000人以上が死んでいると見ている。イタリアの外相によると1000人以上が死亡したといっている。

カダフィの宮殿があるトリポリ以外の町が陥落してほとんどの町が市民の手中になった。トリポリを残すのみとなっているという。

23日リビアからシャルル・ドゴール空港に帰国したフランス人の話しではカダフィの統制しているのはトリポリだけだと言っている。チュニジアの前例からヨーロッパへの難民が押し寄せるのを警戒しているという。サルコジ大統領と欧州ではカダフィへの制裁を要求した。しかしカダフィの大量虐殺に使用した武器の提供元を裁こうという指摘は無かったようだ。2月22日にはカダフィは防衛委員会を組織しカダフィを支持する青年たちと「殉死を好む」と発言している。