2011年1月14日金曜日

チュニジア警察が市民に実弾発砲、国際社会や人権団体が抗議 ベンアリ大統領批判で

チュニジアで市民抗議のデモに警察の実弾が発砲されて流血事件が起きている。人権普及国際連盟 (FIDH)や国際社会からのチュニジア非難の高まる中で市民は街路に出て「ベンアリ政府をなくそう」と叫んでいる。チュニジア市民の抗議のスローガンも社会・経済批判から政府の汚職など体制批判に及んでいて、これに政府は態度を硬化させている。FIDHの会長スハヤー・ベルハッセン女史はこの1ヶ月で66人が死亡しているとし、先週末(8日)には3つの街で少なくとも35人が射殺されていると発表していた。

FIDHの会長スハヤー・ベルハッセン女史(写真撮影/筆者)早くからチュニジアの人権問題に注目していた人権普及国際連盟 (FIDH)会長のスハヤー・ベルハッセン女史はチュニジア人だ。














メディアに轡(くつわ)や釘では収集がつかないとみてか13日、24年近くも大統領に居続けるジン・アビディン・ベンアリ大統領は次のような沈静化のための宣言をテレビで発表した。

2015年の大統領選挙には出馬しない。軍隊に群集に向かって銃弾を撃たせない。パンや砂糖を値下げする。新聞・インターネットの制限を解く。しかし戒厳令は敷かれたままだという。

1月12日、人権普及国際連盟 (FIDH)はチュニジアの学生や市民へデモ弾圧で実弾が撃たれ流血事件となって事態は悪化しているために、国連の緊急人権審議会で殺害調査を調べる国際調査委員会を設置するように呼びかけた。

FIDHのサイトでは「人間の自由が拘束されて人権が犯されている」、「これは裁かないでおくわけにはいかない」と宣言している。

チュニジアで2010年12月17日モハメッド・ブウアジジ(Mohamed Bouazizi)氏が焼身自殺をはかったのは、警察が同氏の生業としていた青果物を積んだ荷車を許可証が無かったために押収されたことに抗議したからだ。これが出発点となってチュニジアで前代未聞の社会運動が勃発することになったと人権普及国際連盟 (FIDH、1月5日)では見ている。

ブウアジジ氏は重度の全身焼けどを負い1月4日17時30分にチュニス南部150キロのシディブジッド(Sidi Bouzi)の街のベンアリ病院で死に同市の墓地に埋葬された。その後フランスを追放されていたザッカリア・ベン・マフディ氏が焼身自殺をはかった。2人の青年の死の理由はチュニジアの失業や雇用の不安定、住宅難など社会的な問題に抗議したものであった。

チュニジア政府はインターネットを封鎖しメディア報道の規制やジャーナリストを監視したり逮捕者も出ている中で、メディアには轡(くつわ)がつけられたといわれている。

国際社会からのチュニジア政府への批判が高まる中で、仏緑の党(Verts)のノエル・マメール、エコロジスト・ベーグル市長などはベンアリ大統領を指して「砂漠のチャウシェスク」と呼んで批判している。ピエール・モスコビッチ社会党議員は、「絶対にゆるせない」と怒りを隠さない。フランス在チュニジア人のチュニジア民衆を支持する抗議集会がマルセイユなどであった。

何故フランス政府は厳しくこれを告訴しないのかとの声には、仏政府スポークスマンのフランソワ・バロワン氏は「フランスはチュニジアの友人である」と答えている。12日のフィヨン首相もチュニジアの市民殺害には困っているようで、ようやく12日になって「並外れた暴力だ」と発表したが、そのフランスの腰の重さをチュニジア人であるFIDHの会長は残念に思っているようだ。

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