2014年12月16日火曜日

「歴史を正視するために必要だ」とオランド仏大統領 パリに「移民歴史資料館」開館

15日夕刻、フランソワ・オランド仏大統領は7年前にパリの東のポート・ドレ宮殿内に建設されていた「移民歴史資料館」を開館させた。オランドは「フランスが歴史を正しく理解するために必要だ」「移民は恐怖だという考え方がフランスに根づこうとしている。この流れを覆さなければならない」と開館の意義を語った。これはサルコジがニースで10月21日に、「移民は、話題にしてはならないタブーなどではない。それどころか我々の生活様式を脅かす中心的テーマである」と人種差別的な宣言に対するものであることは明らかだ。同様に、サルコジが「アフリカはまだ歴史に入ってない」と馬鹿にしたのに対し、オランドは西アフリカのダカーから11月29日に「アフリカは歴史に入っているだけでなく、アフリカは我々の未来の一部でもある」と発言してみせている。ポート・ドレ宮殿は1931年の「植民地万博博覧会」の建物でそこにアフリカ美術館とオセアニア美術館があったが、最近、そのうちのアフリカ美術館のほうはジャン・ヌベールの建築でエッフェル塔近くの「ケ・ブランレ美術館」に移った。

9月に同館の指導審議長に任命された歴史家のベンジャミン・ストラ氏は、国の最高責任者が言葉だけでなくここを訪問し公式に開館を宣言することは、そして移民の歴史を正視することは非常に重大なことなのだとオランド仏大統領の訪問を意義付けて語っている。オランドは自分の人気が下がるようなことばかりしている。カトリック教徒に嫌われる「総ての人の結婚」でホモ結婚の人権を議会で承認させたし、最近はイスラエルの嫌がるパレスチニアの国家承認を支持した。オランドは人気に結びつかない人種差別と移民問題と人権擁護に取り組んで、極右派系フロンナショナル(FN)や、サルコジを支持する右派国民運動連合(UMP)の反撃を招くことをするまれな大統領である。しかし歴史家のオランドの諮問員の中には、ロマ人移民少女「レオナルダ」事件の後では、オランドがこの問題を取り上げても遅すぎてインパクトは少ないと嘆くものもいる。

同館はシラク大統領の時代に2001年にジョスパン社会党首相が発案し、2004年ラファラン首相の時に正式に決まった。サルコジ前仏大統領時代に完成していたが開館を忘却の中に放置しておかれていたもの。2007年にサルコジ氏が仏大統領に就任すると移民や東欧からの移民の「ロマ人」やキャラバン移動生活者の「旅の人々」が排斥され、移民圧制の政策が敷かれて、この美術館は開館されずに来た。サルコジの友人のブリス・オートフーのために移民を取締まる移民大臣の職を新たに設けている。

そういう中でサルコジのフランス人論であるナショナリスト的な「国家アイディンティティ論議」をグルノーブルで打ち上げた。ピュイ・アンベレーの教会ではイスラム教徒への聖戦の発言がなされたりして、イスラム教徒が矢面にする移民大臣の職が新設された。これに反対した「移民歴史資料館」周辺の知的ブレーンの半数が辞任していった。

そのためにこの「移民歴史資料館」をサルコジに捨てられてしまったのである。インターネット新聞の「Rue89」によるとサルコジはこの「移民歴史資料館」を嫌っていて一度も足を踏み入れたことがないという。

【関連記事】
1931年開催のヴァンセンヌの「国際

1931年開催のヴァンセンヌの「国際植民地パリ万国博」とブローニュの「人間動物園」http://franettese.blogspot.fr/2014/12/1931.html


【参考記事】

Immigration : la contre-offensive de Hollande

LE MONDE |  • Mis à jour le  |

En savoir plus sur http://www.lemonde.fr/politique/article/2014/12/15/immigration-la-contre-offensive-de-hollande_4540644_823448.html#9I9Z9cAPRriVjXZM.99

http://www.lemonde.fr/politique/article/2014/12/15/immigration-la-contre-offensive-de-hollande_4540644_823448.html



discours de Grenoble
La Cité de l'immigration ouvre ses portes malgré toutLa Cité de l'immigration ouvre ses portes malgré tout10/10/2007 à 11h00