2015年3月16日月曜日

10年後にレンヌで裁判が実現 2005年のパリ郊外青年暴動の起爆剤となった少年2人の感電死裁判

彼らが警官に追われて飛び込み、飛び込んで感電した変電所。
 仏時間3月16日14時から、ブルターニュのレンヌ高等裁判所では、2005年の仏郊外青年暴動の起爆剤となったパリ北近郊のクリシー・スー・ボワの町で、警察に追われ変圧所に飛び込み感電死した2人の少年ブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の家族側が要求する裁判が、事件後10年たってやっと実現する。争点は警察官の救助義務の怠り。事件当時は迷宮入りの感があった。
いよいよ天守閣での攻防戦になります。裁判は5日間続き、警察官には最低5年間の刑期と罰金の可能性がでてきた。裁判では危険な状態にある人を警察が知りながら放任したことで死亡したということが争点になる。

10年待たされた「移民少年追跡」裁判 感電死は警官の「救助義務不在」が焦点

サルコジ前大統領が内務大臣の時に警察を指揮して戒厳令がこの事件からフランス全土に敷かれた。2人の警察もこれまで通常の勤務をしていて、事件は事実上なかったことにされていた。政治が変わり社会党政権になってやっと裁判の兆しが見えてきた。5年前の追悼集会ではこの裁判の弁護を引き受けているジャン・ピエール・やベナ君の兄のジィエド・アデル氏は、私に20年でも戦うといっていた。目下、レンヌ裁判所前には支援団体やジャーナリストが集まり機動隊も出ていると報道されている。






感電死した2人の少年ブゥナ・トラオレ君
(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の
記念碑(第五回追悼式)、後ろに
ミニャー弁護士