2018年1月21日日曜日

創価学会の世界平和運動が 逆に戦争を招くとは何故なのか?

(パリ=飛田正夫)なかなか上手く言えないのです。それは私達の頭の中には核兵器反対、原爆反対、核戦争反対そして世界平和を願うことが当たり前であって、これを誰も批判できないようになっている。ですから、私の言っていることはもうそこの次元から理解が停止されてしまって、新たに考えることができなくなっているのです。・・・・・・それで非常に話が難しくなってしまうのです。・・・・・・できるだけ簡単にいうと。

①-創価学会という団体があってこの団体の第二代会長戸田城聖という人が、「アトムを使う者は死刑にする」という広島・長崎に落とされた原爆に反対して禁止宣言を昭和32年(1957年)に創価学会の池田大作など青年部を集めて横浜の水沢競技場でやったのです。私も父親に連れらてそこに行ったということです。
②-ところが「創価学会・公明党」は「自民党」の核政策を支持して、この反戦・平和の主張も行動もしなくなってしまったのです。それは池田大作が核の軍事利用は良くないが、平和利用なら良いと講演したからなのです。それで広島・長崎は原爆でしたが、福島はその池田の許した平和利用の原発事故によるアトムの被害が起こってしまったのです。
③-もしも「創価学」「公明党」が「自民党」を支持しないで原発政策に反対していれば、福島はくい止められたと思うのです。これが非常に大事な創価学会の路線転換から起こっているわけです。つまり、戸田城聖の遺言を守らなかったのが実は池田だったということです。ですから池田は死刑にされなければならないという論理になるのです。かなり物騒な話しですがそうなる。
④-その証拠には、池田大作は創価学会の路線を以前の布教路線から文化・平和路線に変えたという事があるのです。これはどこがどう異なるかというと、布教というのは人間の信仰思想を、つまり宗旨を変えさせる事になるのですから、並大抵のものではないのは当然なのです。非常に困難な中で行われるのです。
⑤-しかし池田は創価学会の諸外国の異文化への進出・拡大の中で、これまでの創価学会の布教の中核である折伏路線が諸外国の信徒らから反対が出るのです。折伏とはキリスト教ならばそれを論破してその誤りを糾すわけですから創価学会はその外国での布教法で行き詰まり、別の布教法である相手の状況に従って布教を進めるという摂受路線を考えたのです。その為に持ちだしたのが次のような論理なのです。
⑥-つまりもしも戦争が起きてしまったのならば、どこの宗教・宗派が正しいとか誤っているとかの論議などしてはいられなくなる。寺院も御本尊も焼かれてしまって信仰などできなくなるのだと立て上げたのです。だから、先ずは第一にしなければならないのが世界平和を実現させることであると主張したのです。これが創価学会の世界平和・文化運動路線への切り替えでしたが、この論議に殆どの人々が騙されたのです。
⑦ですから創価学会・公明党は今でも反核・反原爆は言っても、反原発は言わないしやらないのです。
⑧-先に⑤と⑥とで説明した創価学会の世界平和・文化運動路線への切り替え論議というのは実は、池田大作が書いた「立正安国論講義」(池田大作著 昭和41年 創価学会発行)というのがあって、この中で日蓮大聖人の「立正安国論」を解説し講義しながらここで正しい正法を広めるることが安国を実現するという日蓮大聖人の考えを、池田大作が世界が戦争が無く安国であるならば正しい信仰も出来るとして、論議を逆立ちさせたのです。
⑨-日蓮大聖人の「立正安国論」とう著作が、池田大作の講義では「安国立正」と倒立して逆さまになったわけです。宗教の正邪を決し明確に立てるのではなくて、世界の静謐・安定という「世界平和」を実現させる運動が先になってしまった。これが創価学会の平和・文化路線への切り替えだったのです。この時に創価学会は日蓮大聖人を利用して、「立正安国論」の中に世界平和が大事だと文章にあるではないかと客人の言葉を主人の言葉と摩り替えた解説をして見せたのです。これはかなり巧妙な邪義だと言わなければなりません。この時に日蓮大聖人の正しい教義を池田大作は捨てたのです。
⑩-池田大作のこの主張は、「立正安国論」の中での日蓮大聖人の立場である「主人」の主張ではなくて、「客人」の立場の主張を踏襲したものだったのです。その「客人」というのは悪魔の蝦蟇法師法然の考えを代表しているのです。念仏蝦蟇法師の流れを創価学会・公明党は引いているとうことなのです。ですから創価学会は日蓮大聖人の教えではないのです。正しい宗教思想を明かさずに、先ずは世界平和運動路線を主張することが大事だとする考えが、逆に戦争を万里の外より招き寄せるということになるのです。「立正安国論」の本当の意味というのは、まさしくそこにあると拝します。取り急ぎ書きました。この文章は私のブログにも掲載いたします。(日本時間 ‎21/‎01/‎2018 ;16:05)(仏時間‎21/‎01/‎2018 ;8:05)