2013年11月11日月曜日

池田大作が表敬訪問したルーマニアの独裁者チャウシェスクとその妻エレナの遺体を発掘

「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版 2―3頁)
ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクとその妻エレナの遺体の発掘が21日行われた。二人は1989年に処刑されたが政府は墓荒らしを恐れてブカレストの中央から少し西にあるゲンシアの墓地にニセの名前で埋葬していた。亡くなったニコラエ・チャウシェスクの娘ゾイアの夫のミルセア・オプレアン氏は、射殺されたチャウシェスクを見たとして、「マントーやズボンの穴を思い出した」と言っている。三人の子供のうちの生き残った一人バレンタン・チャウシェスク氏もオプレアン氏と同じくその埋葬に疑問をもっていて発掘を望んでいた。DNA判定結果は数ヶ月後になる。(本文の初出 / 公開日時: 2010年7月22日 @ 23:58 )

チャウシェスクのルーマニア独裁は1965年から1989年まで続き、12月22日にヘリコプターで逃走、同日逮捕され数時間後にブカレストのタルゴビスト兵舎で秘密裏に裁判に掛けられて、その場で射殺された。ヨーロッパで最も知られる独裁者の墓の訪問客はふえ続けている。ルーマニアの映画監督アンドレ・ウジカ氏により資料に基づくニコラエ・チャウシェスクの生涯を描く長編映画がカンヌ映画祭で上演された。1989年のニコラエ・チャウシェスク転落の周辺は歴史の暗い影に覆われた部分であるといわれている。二人は1989年に処刑されたが政府は墓荒らしを恐れてブカレストの中央から少し西にあるゲンシアの墓地にニセの名前で埋葬していた。

日本では創価学会の池田大作名誉会長が1983年6月4日から9日までルーマニアを訪問。随行した新聞記者の水上靖彦氏の報道では「チャウシェスク大統領と、人類平和のために約一時間にわたって核軍縮、世界の各地に“非核ゾーンの設置”など、平和への国際協力の必要性について会談」とある。

「この模様は、国営ルーマニア・テレビ放送でニュースのトップで報じられた。」と創価学会系の月間誌「第三文明」(1983年9月号106頁)で書いている。ニコラエ・チャウシェスクと会見する池田大作氏の写真は同誌の107頁にも掲載されている。しかしなんといっても創価学会インターナショナルの広報誌である「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)の2頁から3頁を使っての両者の6月8日の会談を大きな写真に収めたものが見逃せない。

「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)

983年6月8日午前中に池田大作インターナショナル創価学会(SGI)会長はルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領を官邸に表敬訪問し60分に渡り会談したと、「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)にはある。

「第三文明」(1983年9月号)
この両者の会談の中で特に、軍縮と原爆兵器の廃絶及び平和思想を語りあった。と「SGIグラフ」誌では報道されている。現代の最も重要な課題は、軍事費削減や原子力兵器削減と同様に、世界の政治的緊張の最大の原因になっている武器の拡散化を止めることである。新たな原子力兵器の開発を止めさせ、既存の原子力兵器を廃止させるためには、世界平和のための国際協力を呼びかけなければならないと池田氏は話している。

その後、ルーマニアの大統領は池田氏の質問に答えて、牢獄やテロリズム、圧制、戦争などのテーマで答えた。また、同誌によると、チャウシェスクは常にルーマニア民衆の為に、独立の為に、よい社会を建設する為に、そして国際友好の為に働いてきたと評価している。この評価は間違いなく創価学会のそして池田のチャウシェスクに対する見解であって、ルーマニアの独裁者としてのニコラエ・チャウシェスクの正体が見抜けなかったわけである。

創価学会・公明党は、原子力のアトムの正体が何であるのかを見抜けなかったから、2011年3月11日の福島の原発基地事故が起こったのである。世界平和のための国際協力では池田のいう武器の拡散化は解決しないのである。それどころか池田が核の平和利用は軍事利用とは違うと判断したことで公明党は自民党の核推進政策を支持してしまった。これが福島の事故の引き金であった。本来は創価学会はこれに絶対阻止の反対を死守しなければならなかったのである。

それを創価学会は忘れてしまった。世界の指導者からの名声やメダルを求めて世界を走り回った池田は、本来の信仰を失って法然先生のような姿になってしまったのである。これは「立正安国論」の主要なテーマでもある。池田は法然の弟子の思想である世界の静謐を先ず収める世界平和を唱えてこれを実現しその後に宗教の正邪を明らめようとしたわけだ。「立正安国論」での法然のような考え方に、考えが変わってしまっていたのである。

創価学会や公明党もそこを抑えないと、福島の原因が「立正安国論」の逆さ読みをした法然読みに足をすくわれたことにあったことははわからない。ここに日本の不幸の原因があったことは理解できないのである。

「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)は、日本の創価学会の指導者池田大作がインターナショナル創価学会(SGI)会長として独裁者チャウシェスクと会談する貴重な資料である。当時ヨーロッパではルーマニアのニコラエ・チャウシェスクは独裁者として多くの民衆を殺害していることで有名であった。その両者が写っている「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版2―3頁)の写真をあるフランス人学生に見せた私は顰蹙(ひんしゅく)をかうことになったのである。

日本ではチャウシェスクのことは良く知られてなかったが、チャウシェスクが自国の民衆を殺害し人体実験までしていた独裁者であることはヨーロッパの一般人の常識であったのである。この独裁者の大歓迎に創価学会は池田氏をはじめ組織をあげて喜んでいた。

今後、独裁者チャウシェスクの大量虐殺の生涯をより多くの方が知れるような歴史の発掘がなされてゆくことを願いたい。その時に池田大作氏の独裁者表敬訪問も正しく歴史の鏡に照らしだされて裁断されるだろう。