舎利佛が布施行の修行をしている時に、鬼が出てきてお前の目をく
れと言ったので、しょうがなく目を差し出した。鬼はこんな腐った
ような目なんかといって地面に叩きつけ足で踏みにじった。更に鬼
はもう一方の目が欲しいと言ったのだが、この時に舎利佛は怒って
布施行の修行を止めてしまったというのだ。
しかしこのような仏説というのはどこか我々に示唆されるものがあるが、超人的な修行のようにも思われる。さらにこのような行が他人を思い慈しむのに我々にどうしても必要なのだろうかという疑問も起きる。
だから世界平和だと戦争反対だとかいって旗を振りシュプレヒコールを打ち鳴らしている姿にはどこか決定的な解決策がない針の山を歩く人々のようにも思えて歴行修行をやらされているのだなと見えてしまうのである。その証拠にはこの活動で問題は解決してないということなのである。
そうではなくて、我々は絶対に解決でき勝利できる本物の闘いの方策をこそ行いたいと思うのである。