2015年8月26日水曜日

創価学会・公明党も 実はこの反戦・平和の 浜辺の砂子の数を数える「歴劫修行」であった

私は戦争反対や平和運動を反対しているのではないのですが、今は多くの人々が、これに参加し縦・横の看板を上下左右に翻し、行進し、映画を作り書を著し、または講演会に出席し署名に名を連ねてみたりするわけです。どうしてこういうことになるかというと、誰もこれで戦争が本当に阻止されるとは思ってない。しかしそういう実践行、つまり「歴劫修行」をやってみせているということです。ある意味での自分の立場の思想表明ですが、これは身の飾りでしかないのではないか、執行力がほとんどないのではないかと考えています。
 これは簡単に独裁ファシズムの前では一掃されてしまいます。そういう浜辺の砂子 (いさご)の数を様々に数えるような「歴劫修行」は個人の心の安心を誘うものでしかないのではないかということです。

創価学会・公明党というのも実はこの平和路線であった。彼らは戦争反対派として名声を確立していた。ところが権力の前に簡単に偽善の裏切りをしてしまった。しかも最悪の自己否定でした。

自分たちの思想を手の平を返すようにいとも簡単に翻したのです。創価学会・公明党に於ける思想家や宗教家や政治家というものはそのようなものなのです。

「関連文献」

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