2015年8月27日木曜日

安倍晋三・池田大作の『立正安国論』の逆立ち読みが 戦争準備の原因

 戦争を手段とした平和はないのです。全く安倍は可笑しい。こういう論理を転倒解儀 (てんどうげぎ)といって逆さまにしか世の中を理解しない人たちなのです。念仏法然をどうして私が反対するのかといえば、この転倒解儀した読み方で経典を逆さに読むからです。『立正安国論』の中で法然に影響された「客人」の思想はまさにこれで、世界平和を唱える創価学会の池田大作もこの法然の流れを汲むわけです。つまり世界が平和である為に、四海の静謐を収めなければならないというのです。これは『立正安国論』の中の日蓮大聖人「主人」の考えではなくて、法然先生に影響された「客人」の考え方なのです。平和を実現するために戦いを許す考え方がそこにあったのです。公明党が安倍晋三を支持するのは、池田大作のこのような考え方から来ているので、少しもそこに創価学会と公明党との両者の相違はないのです。創価学会の平和主義とはこれなのです。 (パリ=飛田正夫 2015年8月27日 2:00 )


いわゆる平和実現の為の「世界の静謐をおさめる」戦いを認めたのです。平和実現への闘い、つまり安倍首相の「平和貢献の準備活動」=創価学会の「平和運動路線」を手段として採用したわけです。

創価学会はこの平和路線への誤りから、日蓮大聖人の仏法の正義を糾明することを先決問題にした『立正安国論』の「主人」の立場を捨ててしまったのです。創価学会が念仏法然の平和論に踊らされたということが、今の日本の危機の根本原因だということです。

だからこの池田大作の誤りを批判しなければ、『立正安国論』の「安国」は実現しないで逆の結果になるのは当然なことなのである。安倍よりも恐ろしいのはこの創価学会の池田大作の思想であると思う。

安倍首相の積極的平和主義がProactive contribution for peaceとは、「平和貢献の準備活動」ということだ。平和には積極的とか消極的とかいう区分は無いはずだ。これを区分する人は平和を分解して見せることで、その破壊を考えている人が多い。ガルトゥング氏が積極的平和positive peaceを使用したからといって、その反対側に消極的平和が存在しているとするのは考えものなのです。こういうのを詭弁という。

安倍氏の言葉に関して言えば、積極的平和主義も消極的平和主義も存在しないのであって、このように平和に区分を設けることはできない筈なので、全くおかしな表現で、これを使うのは下心があるということだ。安倍だけでなくて、創価学会なども使いそうな、「平和貢献の準備活動」とは「平和」ではないということです。この「準備活動」はあくまでも「準備」なのであって、この「準備」とうのは、戦争へ向かっていくことを正当化しているとも考えられる表現なのです。

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