2015年8月27日木曜日

国が国民を守れないのは、「国」を国家太平・国土安穏の「砦」として考えてきた安倍・池田の思想が今や破綻

国家が市民や民衆を守ら無ければならないのに、それができなくなっている状況が出ている。国が国民を守れないのは、国を国家太平・国土安穏の砦として考えてきた思想がいまや破綻していることを示しています。この『立正安国論』のタイトルを問題にされたものでそこには重大なテーマが提出されていると思います。平和を考えるときに、国家太平・国土安穏を先に考えるのか?それとも「立正」という宗教や思想における正邪を糾し正義を立てることを先にすべきなのか?という対立があるわけです。安倍晋三や池田大作の創価学会・公明党は「安国」が先なのだという立場です。(2015年8月27日 10:36

これは、『立正安国論』の中での「客人」の主張であって日蓮大聖人の立場ではないのです。国家太平・国土安穏は万民の願うところではあるが、これを直接的に追うと、つまり創価学会・公明党のように世界平和を唱えてそのための戦争を手段として認めてしまうということなのです。しかし、日蓮大聖人の立場である「立正」からの平和論は必ずしも国家の枠を考えていないのだと私は拝します。

欧州は大きな戦争があって、今は欧州連合共同体ですが、国家は存在していて民衆結合の靭帯となっていますが、これが市民(分裂)戦争を第三世界の独裁者が欧米の政治家と組んで画策して、自国の中に多くの難民や亡命者を排出させてしまった。

国家が国民を守れない状況が出ています。これを救済する手立ては今のところ欧州の人権思想だけです。この思想によって欧州各国はシリアや中東・アフリカからの国を捨てた棄民を受け入れ救助しようとしていますが、裏には各国のエゴが渦巻いているのも事実です。