2017年8月29日火曜日

バルセロナのテロを阻止できず キリスト教徒は犠牲者追悼儀式に涙するだけ


イタリアへの峠越で有名なモンスニ(Mont Cenis)峠へは登らないでフランス側のアルクの谷をさら奥に進んでいくと悪魔の像が市庁舎の前に置かれたベッサン(Bessant)の集落まで行く。そこで、フランスのロワール地方のトゥールの町からヴァカンスでやってきたという中年の夫婦に出会った。歩きながらであったが久しぶりにフランス語を話せた。話はもっか話題のバルセロナでのイスラム主義者によるテロ殺害事件となった。フランス人一般の中に少数派であるが、イスラム教徒がイスラム主義者のテロと同一視するというヒステリックな傾向が出てきつつあることが心配される。モロッコ人の青年はバルセロナで14人を殺害、その末に昨日(22日)に警察に青年は射殺されたことが報道された。今や、一度テロリストと名付けられると、それは生きて逮捕される事はなく、裁判も無しに撃ち殺されるのが当然視されている。このことを誰もが当然の如く疑問に思わない。この現象をキリスト教徒はどのように考えるのか?トールから来た夫婦に聞いてみたのである。https://www.facebook.com/photo.php?画像に含まれている可能性があるもの:山、空、木、草、屋外、自然fbid=1093731004097245&set=pcb.1093757200761292&type=3&theater

エレーヌという婦人の言うには、キリスト教の聖書には人間を殺してはならないとあるのだという。人間を殺害することを否定している。悪魔を殺害して良いとは言っていない。殺すのでは無くて排除し追放するのだということであった。一度、テロリストと悪魔視されると排除や追放されるのではなく殺害されることは、すでに現代の法律でも理解し難いものであり、キリスト教の教えにも反するのだという。旦那の方は私達のこの会話を聞いていたが、ついに口を開き、こんな美しい風景を見た方が良いと、婦人に話して先を急がせた。

このカトリックの婦人から非常に素晴らしい返答が有ったので、私は貴方は神学を勉強したのですか?と質問した。婦人は少しだけ勉強しましたと答えている。

このベッサン(Bessant)の集落の付近はバロック街道と呼ばれる道筋にある。16世紀にドイツや北フランスで起こったプロテスタントの宗教改革に対するローマ・カトリック教会側からの巻き返し運動としてイタリア国境のモンスニ峠を超えてこの地方にカトリックによる反宗教改革が17世紀の芸術表現バロックとしてローマからもたらされたベルニーニに代表される独特の脅しの強いバロック表現として、従ってプロテスタントに信者を奪われたカトリック教会はキリストの磔刑図を更に無残にして見せて、背信者にキリスト教の地獄や悪魔を強調して脅しをかけたものであった。

バロック建築や美術は大きな集落や町では教会やシャペルがあるが、貧しい小村では道祖神のようなものが山野に祠のようにして置かれてあるのが見られる。これ等を見ると山間の隅々までもプロテスタントを敵視するカトリックの教えが広まっていたことがわかる。

何度もこの地を訪れているが、今回(8月23日) は、ボネバル・シュール・アルク(Bonneval sur Arc)の村から細い間道に逸れてアベロールという集落へ行ってみた。


フランスではパリの音楽ホールのバタクランやニースでのトラック暴走で多くの犠牲者が出た。国を挙げての国葬の追悼を行った。しかしキリスト教はこのテロでの犠牲者に献花や追悼の辞を大統領や大臣や市長が、愛惜の涙を流しながら行うことがあっても、また大司祭が大葬儀を執り行なってもそれで死者は救われるわけでもなく、また死者が蘇えるわけでもない。キリスト教は、ただ悲しみの葬儀を行うだけであって、テロリストの犯行を未然には防げない宗教なのである。

このことを理解することは非常に大事であり、キリスト教の性格を正視する良い機会となるだろう。そしてテロを退治する手段とはならない宗教であることがわかれば、人々はその虚しさに目覚めるだろう。因果を知れる真実の力ある宗教ならばテロの危険を未然に防止できるのである。