2014年1月19日日曜日

「四十余年未顕真実」の文は無量義経に 法華経の開経の意味を誤る戸田城聖

「四十余年未顕真実」の「無量義経」の経典中に「」の文字を盗み入れ添加して、戸田城聖の獄中の悟りとは生命なり」というのをつくった。この悟りは法華経の経典読誦によるものだといいたいために、戸田は」の文字を「無量義経」に摂入したのだと考える。一方、戸田は「無量義経」と「法華経」とを並べ論じていて、論文に序論・本論・結論とあるように、経典にも開経・本経・結経とあって、「無量義経」というのは一本の論文の序論であって「法華経」はその本論なのだから同じものの前後であるとこのように立てた論議なのであった。こうすることで、戸田が獄中で読み悟ったという「無量義経」からの悟りが、はたして「法華経」の悟りに等しくなるのかは、はなはだ疑問である。

このようにして戸田の「無量義経」経典読誦の獄中の悟りが、さも「法華経」を読んでの悟りのように誤魔化したトリックの論理がなされたのであった。この戸田城聖の獄中の悟りが創価学会の有名な生命論の原点となったと池田大作はいっているわけだ。その意味で戸田の獄中の悟りを論じることは重大な意義があるだろう。この獄中の悟りに関する戸田城聖氏が書いた資料を先ずは以下に提示する。


左から順に右に、「戸田城聖全集第四巻」(編集兼発行者 池田大作 昭和40年12月10日 和光社発行)、『人間革命』妙悟空 (戸田城聖のペンネーム) 昭和32年7月3日 精文館発行)、「戸田城聖先生 質問会集」創価学会 昭和38年8月2日初版)








『人間革命』妙悟空 (戸田城聖のペンネーム) 昭和32年7月3日 精文館発行)のあとがき、



















「戸田城聖全集第四巻」(編集兼発行者池田大作 昭和40年12月10日 和光社発行)には、戸田氏の『人間革命』の他に、『質問会集』や『座談会週』、『和歌』も一緒に収録されている。
  

「無量義経徳行品第一」の箇所には、この戸田が示した「」の文字はないのである。つまり戸田がここに盗み入れて、解釈したのである。 無量義経のこの箇所には」の文字はないのである。「戸田城聖先生 質問会集」創価学会(昭和38年8月2日初版 8頁)
とは生命なり」という戸田城聖の獄中での悟りは創価学会の生命論の原点となったが、それは法華経からではなくて無量義経からだとする論拠づけがここに書かれてある。ここで戸田は、「無量義経徳行品第一」の「とは方に非ず円に非ず短長に非ず、……動に非ず閑静に非ず」と書き換えた箇所を引いてきて見せて、「とは生命なり」と考えが開けましたと解説して見せている。

これが有名な戸田の獄中の悟りの話しのことである。しかし「無量義経徳行品第一」の箇所には、この戸田がここで示した「」の文字はないのである。つまり戸田が経典のこの箇所に」の文字をどこかから盗み入れて、解釈したのである。 無量義経のこの箇所には「」の文字はないのを、ここに書き加えたのである。「戸田城聖先生 質問会集」創価学会(昭和38年8月2日初版 8頁)



「新編 妙法蓮華経并開結」(平成十年四月二十八日 大石寺 発行 )


新編 妙法蓮華経并開結」(平成十年四月二十八日 大石寺 発行 8頁)

「無量義経徳行品第一」の経典にはとは方に非ず円に非ず短長に非ず、……動に非ず閑静に非ず」と戸田城聖が引用したようには、」の文字はどこにも書いてなく、存在して無いのである。



同様にして、こうした戸田城聖の誤った教学解釈が以下の文献にも残っている。

「日蓮正宗方便品寿量品精解」(創価学会会長 戸田城聖 講述 創価学会教学部教授 多田省吾 編集 東京 精文館発行 昭和33年2月8日印刷 昭和33年2月11日 発行)
  
「日蓮正宗方便品寿量品講義」(戸田城聖講述  昭和37年5月12日再版、WAKOSHA和光社発行)も、戸田の誤った解釈が収められている。


無量義経に「四十余年未顕真実」という文があることはあまりにも良く知られている。そして、無量義経が法華経の開経だというのはおそらくは、この「四十余年未顕真実」の文によってこれまでの釈迦の説法が総て仮の教えであったとして退けたからなのである。そういう未顕真実の自己宣言文が 無量義経の「四十余年未顕真実」であったという意味で、法華経の開経というのだと拝したい。そして真実の経である法華経が説き始められる。

戸田の言うように誤魔化して解釈して、「無量義経」と「法華経」の両者は同じ論文の序論・本論の関係で同じだとは取ってはいけないのである。そういうところが仏法を学ぶ上での大事なところである。

戸田城聖氏の法華経解釈の誤りは、法華経を「依義判文」(義に依って文を判ずる)して解釈した所にあるようだ。戸田は法華経を自分の考え方でつまり自分の義から「依義判文」をした人である。

戸田は法華経と無量義経とは同じ論文の序論・本論の関係で同じだと同じて見せた。そこから無量義経による戸田城聖の『獄中での悟り』も、法華経の悟りと等しいのだとする創価学会の生命論の誤った解釈が生まれでたのである。「仏とは生命なのだ」が生まれるわけである。しかしこれは大変な誤りなのである。

法華経というのは諸経に優れて「最第一」とか、「超八」とか言われていて、「已今当の三説に超過した経」とも、また嘘のない真実の経典であるとして「不妄語の経」ともいわれている。嘘を作って誤魔化してはならないのである。
  
戸田氏は、法華経の文を「依文判義」(文に依って義を判ず)することができず、『獄中』で法華経の文を探求したが法華経はわからなかったと言って、法華経を読むのを止めている。そして、無量義経を法華経の初門として位置づけて、そこから読んだ 無量義経の悟りを『獄中の悟り』と名づけ、さも法華経からの悟りだったかのように喧伝したのである。これではトリックをやっていることになるだろう。

戸田城聖はその無量義経の悟りから、「これよりあらゆる仏典が読めるようになりました。」(創価学会 昭和38年8月2日初版 8頁 以下に写真で掲載)と回顧している。

この「戸田城聖先生 質問会集」が出版されたのは戸田氏7回忌の昭和38年だから、まさしく戸田氏がここで言われている「いまから十年前に」とは、戸田城聖の『獄中の悟り』に当たるわけである。その箇所で戸田氏は、法華経からではなくて、「無量義経徳行品第一」の文から、「仏とは生命なり」と考えが開けました。と書いているわけだ。

創価学会の主張である戸田城聖の『獄中の悟り』とは、法華経の拝読から得たというのとは事実は異なっていたのである。

創価学会の生命論の原点となっている戸田の悟りとは「四十余年未顕真実」の経である「無量義経」を戸田城聖が読んで悟ったものなのである。創価学会はこの誤りを長く誤魔化して隠してきた。

戸田城聖自身は、自著「人間革命」(精文館発行)のなかで、法華経を読み切ろうとしたがわからなかったとしている。それで初門に帰ってやり直すことにして、無量義経に依って『獄中の悟り』を会得したと言っている。
 
戸田氏の死後に出された「戸田城聖全集第四巻」(編集兼発行者 池田大作 昭和40年12月10日 和光社発行)に於いては、戸田の生前に出版された昭和32年7月3日発行の精文館にあった『獄中の悟り』に触れた箇所で、それが無量義経からのものだとする文章の箇所は、この「戸田城聖全集第四巻」では疑いを差し挟まないようにするためか、削除されてなくなっている。そこでは法華経からの悟りの如くなっているわけだ。

「戸田城聖全集」(池田大作 編集、和光社発行 昭和40年12月10日)9頁の後ろから3行目で、無量義経徳行品第一の経典では存在していない「仏」の文字を書き込んでいる。「仏とは方に非ず円に非ず短長に非ず、・・・・・・動に非ず閑静に非ず」(無量義経徳行品第一 )とあり真剣に悩み考えたすえ「仏とは生命なり」と考えが開けました」と、無量義経の経典に無い「仏」の文字を勝手に書き込んでいる。さも無量義経の経典には「仏」の文字があるが如くに誤魔化してここに書き加えて添加しているわけだ。経典改竄までしても、獄中で戸田城聖が悟った無量義経の中に、法華経の仏があったとしたかったのであろう

以下の写真は、「戸田城聖全集」(池田大作 編集、和光社発行 昭和40年12月10日、9頁の後ろから3行目を参照のこと。



  

以下の写真は、戸田城聖氏の(『人間革命』妙悟空 著 昭和32年7月3日発行 精文館書店。及び同著の447頁目)。(妙悟空は戸田城聖のペンネーム)


  
上掲書の(『人間革命』妙悟空(戸田城聖のペンネーム)著 昭和32年7月3日発行 精文館書店 447頁)の箇所には、「無量義経とは、本経を説かれる前の予備、下準備に説かれる序経の事で、論文に序論・本論・結論とある。その序論に当たるのだ。」と書いてあるのがわかる。

くりかえして言うと、戸田氏はここにおいて、「無量義経」と「法華経」とは、ちょうど論文に於ける『序論』と『本論』の関係だとして、つまり一つの論文の前後なのであり、ともに同じ悟りなのだと論じ摩り替えの邪義を立てたのであった。

戸田の解釈の仕方などは、先ずは法華経と諸経(無量義経など)とを並べ同じてみせて、後には法華経を下す邪義の手法になるといわれるのはそのためだ。 無量義経というのは、「四十余年未顕真実」の文が書かれていることによって釈迦のこれまでの教えが総て仮の教えで真実を顕してない経であったと宣言したと言う意味で法華経の開経というので、開経とはそういう自己否定の意味があるようだ。戸田のいうように法華経も 無量義経も同じだというのではないのである。日蓮大聖人の御書には、『本尊問答抄』に、「法華最第一と申すは法に依るなり」とある。

また、『十章抄』には、「されば円の行まちまちなり。沙(いさご)をかず(数)え大海をみ( 見)るな(尚)を円の行なり。何に況んや爾前の経をよみ、弥陀等の諸仏の名号を唱ふるをや。」といわれ、 「日本国の謗法は爾前の円と法華の円と一つという義の盛んなりしよりこれはじまれり。」と言われいる。

戸田城聖氏のように無量義経と法華経とを同一視させる読み方を、日蓮大聖人は退けられているのである。