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| ル・コルビュジェ生誕100年を記念して建てられた ドミニック・ペローの作品。バンド状の横長の窓と デュプレックス構造が外からもわかる。 |
この日、考古学的な保存の危機にさらされている遺跡群が同じくユネスコの世界文化遺産目録に入った。
1030年代にクレーンが無い時代の建築技術とはうって変わった。戦後の人口の増加に対応する大型集合住宅を高層化とユートピアの思想で実現したと考えられている。モデルニテ(現代性)として、柱と鉄筋コンクリート造りの床の組み合わせによって横に長いバンド状の開口部を持つ窓が可能になった。これは中世の窓が縦長であることとは本質的にエステティックな面での違いがあるが、それは極めて現代建築の構造的な革命がその裏に隠されている。
地上階はピロチィと呼ばれる柱だけの吹き抜け空間が配置されている。デュプレックスと呼ばれる内部の階段で繋がる二階式家屋、これは居間の天井の高さが二階分あるということだ。プランリーブルと呼ばれる建物壁の内部の仕切りを大小さまざまに自由に変えられる設計。窓を建物の両側に配置するとか。台所と部屋との仕切りがない設計。また、結核や衛生感覚が強くなった時代の要請から手を洗う場所や、光井戸やサナトリュームなど光が三方からふんだんに取り入れられている家屋設計になっている。収納戸は深すぎもなく、両側からの引き戸で設計されている。屋根の上にテラスを作った。また人間の家を意識したモデュールという規格を打ち出して建物に使っている。
ユートピアの建物はマルセイユのシテ・ラディウーズが有名だが、ここの集合住宅では内部に幼稚園や保育所を持ち、郵便局が有ったり、ホテル-レストランや商店もある。内部の通路には通りの名前がついているもので一つのコミニューンを形成していて巨大な客船(paquebot)と呼ばれている。しかしながらル・コルビュジェの建築は人間の便利さを実現する建築が帰って逆ユートピアの機能主義化したものであるという批判もある。このル・コルビュジェの建築群を見ると確かにそういう一面もあるのだが、よく見ると建て物の屋上の壁などに長方形の穴が開いていて、それが絵画の額縁の役割を演じていて、そこから眺望できる風景が実に心をなごませてくれたりする。建物の柱は太陽の光で影が変わるアーモンド状になっているものもあり豊かな想像力と周囲の景観との調和も考えたものが多いようだ。
また彼のロンシャンなどの宗教建築は、インカ帝国時代の遺跡などの模造を配して、キリスト教とは別の特にゴチックとは別の宗教コードを感じさせるものがある。
私が驚くのはル・コルビュジェの弟子だというその流れを継承し発展させる現代建築家が非常に今も世界で活躍しているということだ。
ル・コルビュジェは1887年にスイスのフランス国境の黄色い石灰(ショー)を壁に塗った町ショー・ド・ファン(Chaux de Fonds)で生まれた。本名はシャルル・ジャヌレといったのだが、1925年に記事を「L’esprit nouveau」掲載した時からペンネームのル・コルビュジェを使うようになった。50年前の1965年に南仏のニースに近いロックブリューム・カップ・マルタンの掘っ立て小屋で機能主義を思索して孤独に暮らしていたが、近くの海で溺死で発見されている。77歳であった。(文字数 ;1792)(投稿日本時間 ;2016/07/18午前7時7分)
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http://www.lemonde.fr/culture/article/2016/07/17/l-uvre-de-le-corbusier-inscrite-au-patrimoine-mondial-de-l-unesco_4970785_3246.html
http://www.lepoint.fr/societe/la-france-laboratoire-des-utopies-urbaines-de-le-corbusier-17-07-2016-2055047_23.php
