6月25日、アフガニスタン南部で63人目のフランス兵(24歳)が死亡した。先ず米国のオバマがアフガニスタンからの撤退を発表した後でサルコジが追従するかたちでフランス軍の撤退を発表したその2日後であった。犠牲になった青年の親はテレビに出演してアフガニスタンでのフランス軍の撤退という戦略の変貌は何故もっと早く決定できなかったのかと政府の判断を批判している。しかしフランス国営放送・テレビA2のマリ・ドリュケーさんはアフガニスタンからの米兵とフランス兵の撤退は同時期での宣言であったとニュアンスをつけてニュース解説で述べている。カピサ地方のポンタバブ付近で隊は蜂起軍の激しい攻撃に襲われ、戦いのなかで青年は重症を負い死亡した模様。
マリーヌ・ル・ペンは25日のフランス国営放送・テレビA2の「マリーヌ・ル・ペン特別番組」で、自分が大統領であればアフガニスタン戦争を、オバマの撤退指令を待たずに、その前にアフガニスタンから撤退させただろうと発言して、フランスが自由でないのはサルコジが自由な大統領ではないからだとフランスの極右政党国民戦線(FN)フロンナショナルの女性棟梁マリーンヌ・ル・ペンが批判した。
フランス議会は7月12日にリビアのカダフィ軍への戦闘継続を決める投票をおこなう予定を既に発言しているために2012年のフランス大統領選挙背景にあって米国のような「即時撤退」は打ち出せないようだ。
急遽フランス政府は、オバマの6月22日の米軍のアフガニスタンからの即時撤退宣言に合わせての段階的撤去宣言となったもので、23日にはセゴレーヌ・ロワイヤル大統領選挙社会党(PS)予選候補はこれをサルコジの追従とよんで批判した。