2014年5月10日土曜日

「フランス」渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦(岩波書店)を読む


「フランス」渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦 著(岩波書店 1983年5月23日)を読んでみた。山口氏の本は出版された時から何冊か読んでいたが、他の二人に関しては詳しくはしらない。この本は二部構成でできている。第一部では渡辺氏と山口氏そして第二部では渡辺氏と蓮實氏が対談したものが納められている。私自身は全体のテーマを三人が鼎談すれば更に面白かったと思えるがそれは叶わなかったようだ。山口氏が亡くなったということで何か読んでみようと考えていてつい遅れてしまった。


第一部での山口氏の指摘はいろいろあるが、「カトリック教会の空間のとり方とか、ステンドグラスも含めて装飾とか、すべてが、眠りに誘うほうへ向いている。夢想に誘う制度になっている。プロテスタントのほうだとそういう部分は削りとっているけれどもね」これに対し、渡辺氏はフランスのカトリックの中にはモーリヤックやベルナノスなど反協会的な文学者もいるとしながらも、「日本のフランス研究者の多くは、私はそういうのは嫌いだといって、ちゃんと見ようとしない」「カトリックの問題を無視してしまうことが多い」といっている。夢か現かということでいうと夢の法門を元にした世界観を視野に収めてないとキリスト教を淵源にもつ社会を捕らえられないということだろう。

「フランス社会科学の日本での受け入れ方も、一方的な憧憬の念でやったというところがあるでしょう。田辺寿利さんや、ぼくの先生の古野清人さんの、デュルケームを中心とするフランス社会科学の導入の仕方を見ると、どうもそこにあったのは、新しさに対する憧憬の念ですね。その時代と切り結ぶ学問的イデオロギーでやったのではなく、一種の学問神話の中でやってきたという感じです。」この言葉は山口氏の話しであるが遠まわしの批判としてあるようだ。だからこれに答えた渡辺氏は次に、「ぼくたちの世代には、そういう意味でのモデルがほとんどなくなっちゃた。だから自分なりの仮設モデルをつくっていかなければならない。そこが大きく変わったんですね・・・」とこたえている。ある知人から聞いた話しによると、古野氏は山口氏が自分で私を先生と呼んでいるのであって、私の弟子ではないといったということである。つまりそれは翻訳ばっかりやってないで研究をやれといっていたのであろう。

山口氏は「ぼくの場合は、フランスというのは自分の<知>の風景をたえず組織しなおし書きかえてゆくための対象の一つだね。人類学が対象とするものとの同化運動をしながら<知>の風景をいったん野生のところへ返してゆく。そういう対象の一つとしてぼくはフランスを考えてきたし、これからもそうだと思う。だからぼくは、普通の人は読まないようなフランスを読んだり考えたりする傾向があるんだけどね」これに対する渡辺氏のフランス語へのこだわりは「コミュニケーションの道具として、また、それ以上に思考の道具として、ぼくはフランス語にこだわっていゆく」といっている。両氏ともにフランス語を思想する道具として使っていきたいという抱負が語られたのであろう。

山口氏の余り聞かないような面白い話しはこま切れに随所に散りばめられている。ここにいちいち提示しない。

第二部では、現代のフランスを考える上でナポレオン三世の第二帝政期(1850年~1870年代)がその基礎になっているという認識を提示している。それがいかがわしさを持つ幻想という世界の魅力ある仕掛けとしての演劇や芝居の様式を備えていた最後の時代だといっている。

オスマンのパリの都市改造などにも長く触れている。アメリカの間接投票の二院制の大統領制とフランスが始めた共和制の大統領制との違いが示され、そこに共和制を追求したフランスがナポレオン三世という独裁者の皇帝を結果的に大統領として選んでしまったという矛盾の驚きを示す。そこでの女性原理の共和国が一神教的な父権原理である大統領制と噛合いがわるいことなど、権威の問題を第二帝政期の文化的特徴として描写してみせている。

フランスが万国博覧会や植民地などを通して多元的な世界認識の存在を否定できなくなってきて自分たちの拠って立つ現実や歴史的認識が一つではないとう恐怖が迫ってくるのが19世末のフランスの特徴だと押さえている。これが多様で異質な外界の世界を認識しだす「野生の思考」の最初の時期だという。構造主義というのは、そのような多元的世界の不連続的現実を意味解釈する困難性に突き当たった時に、その共時性の翻訳可能な回路として意味作用を持ちえる要素体系を構造主義ということもできると私は理解した。しかし構造主義の概念はこれまで誤って理解され悪用されてきたといっている。この辺のところは山口氏も加わって話してほしかったところだ。