2014年6月12日木曜日

フランスで医者が患者7人毒殺裁判 「安楽死」は「抜苦与楽」ではない

緊急医のニコラ・ボンメゾン(Nicolas Bonnemaison)氏52歳が7人の高齢者の患者に毒を盛って死亡させた事件で、2週間に渡る裁判の初日が6月11日に始まった。医者は断末魔の患者の苦しみを前にして、レオネッティ法(Loi Leonetti)を遵守するのは困難であると弁明。医者は患者の苦しみをなくすのが唯一の目的だと確信している。医者は患者に同意を得てなかったことを否定はしていない。しかし医者は自分のした毒殺行為がそんなに重大なことだったとは思ってないと語った。安楽死は「抜苦与楽」ではないはずだ。医者が患者の苦しみを取り除いて、楽を与えることなどできない。それは薬で痛みを軽減したものでしかない。毒を盛って殺しても患者の永遠の生命の苦しみは除去できないだろう。人の命がこの世だけのものと見ているために、現実の苦しみ が消えれば、それが医者の仕事なのだと考えるのは恐ろしい逆ユートピアを描くことになる。医者は患者に安楽死を与えるのではなく医者の仕事は患者を尊厳の中に最善を尽くすことだろう。患者が医療で救われるという考えも現代の病だ。安楽死を認める法案がフランス議会で論じられている最中の裁判だけにその成り行きが注目されている。

レオネッティ法(Loi Leonetti 2005年4月22日)は、死を前にした患者の権利で、安楽死の医療的促進を制限するフランスの法律だ。
 
確かに医者の使う薬というのは一種の毒だ。一般にも毒は薬だといわれているが使い方を誤ると医者でも人を殺す。治療というのはいろいろな薬を使うが危険な場合が多い。治癒しない場合にはついでの安楽死となるかもしれない。安楽死は治療の延長線上に待ち受けている落とし穴だ。

医者は人を殺してまでもその人の苦しみを除くことはしてはならないと思う。それでは、苦しみのあるこの世を無くすには、この医者によれば、すべて消し去れば、苦しみがない世界が実現するという認識になっている。これは、快楽しかない世界のユートピアと同じことで、誤ったユートピアなのである。確かに困難のことかもしれないが生死の苦しみというわけで生きることも苦しむことなのである。容易な死ですべては解決しない。人の人生を勝手にいじってもその患者の苦の問題は何も解決しないだろう。

 2010年2月から2011年8月の間に医者ニコラ・ボンメゾン氏の患者7人が死亡した事件はフランス西南部地方のポーの町で起きた。毒殺者、殺人犯、犯罪者としてポー裁判所に出頭した医者は、先ず患者のことを考えた。彼らの人生の最後は壮絶なものを感じた。それは激しいものであったと語った。遺族の内の2家族が怒ってはないが説明がほしかったと要求している。告訴は安楽死を実行したとして医者に対して市民側から起こっている。
医者はさらに法廷で続けて話している。患者が苦しみの中を生きるのを伸ばすことを選ぶのか、それとも生命を短くするという選択を家族に求めることは非常に困難であったと述べている。

医者は同僚にも相談しなかったし患者の家族にも話してなかった。一人で毒を盛ることをやった。医療記録にも何もこのことはかかれてないと指摘されている。

ニコラ・ボンメゾン医の父親も医者で母親は看護婦という環境で育ったと話し医療への関心が強かったことを述べた。医者は自分の父親が58歳で自殺したことを述べた。妹の一人が精神疾患に悩まされていて2012年に死亡したことなどを述べた。

医者は自殺を考えたことはあるが、自殺を実行しようとしたことは一度もないと判事に答えている。

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【参考記事】

 http://tempsreel.nouvelobs.com/justice/20140611.OBS0132/proces-bonnemaison-l-euthanasie-n-est-pas-mon-combat.html


http://tempsreel.nouvelobs.com/justice/20140611.OBS0132/proces-bonnemaison-l-euthanasie-n-est-pas-mon-combat.html#reagir 

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