2015年3月20日金曜日

大江健三郎さんの「修正して次の原発に希望を託すということを私はしない」という事

大江健三郎さんは話しの中で、「 原発がない社会というものを実現するほかない、それが次の世代に対する一番根本的な態度であって、それを修正して次の原発に希望を託すということを私はしない、少なくとも私はできない。そこで声を発し続けるというのが、私が今やれるかもしれない、唯一最後の仕事として思っていることです」と言われている。それは広島や長崎の問題と福島が共通するのはそこに放射能被爆があるわけで、福島とはそこで繋がっている。人間の生命を半永久的に蝕み続ける放射能のアトムが私たちの文明全体の危機になっている。すでに我々は広島・長崎の危機を誤魔化して、摩り替えてその「修正」をしてきた。それは反戦・反核団体であった創価学会・公明党でさえ軍事利用でなく平和利用ならば原発開発は良いのだとして、原爆や原発の中に潜む放射能の魔性を隠し忘れさせて、外見から「修正」してしまった。

創価学会会長の池田大作氏がその先生の戸田城聖氏の遺言であり創価学会永遠の主張だとされた「アトム(原爆)を使用したものは、死刑にする」との指針を変更してしまった。池田氏というのは大江さんの時代の人です。池田の創価学会は「修正」を受け入れて、戸田の原発禁止宣言の「声を発し続ける」ことができずにこれを止めてしまったのです。どうしてかというと、文明や社会の破壊がない安定した社会がない限り、つまり戦争や原爆の脅威がない世界でないとご本尊や寺院も焼かれてしまい布教は困難になるとし、従って世界平和を実現することが先決問題で、宗教的な正邪を糾すことは後でもよいのだと「立正安国論」での日蓮大聖人の考えを「修正」したのです。それは創価学会・公明党が考え方を変えることが必要になったからだ。「立正安国論」の主張をひっくり返して、政治的な世界平和の実現がまず先で、これを実現した後の社会・文明の安定の中で、宗教の正邪は判ずべきだとして、もともとの「立正安国論」の思想を逆立ちさせるかたちに「修正」解釈したのである。これは自民党の憲法9条の解釈による改悪が問題になっているの同じことである。サイドやアドルノとは直接は関係がないかもしれないが、私が上述の話しをしたのは、文明や国家や世界という外枠の危機や戦争を声高に持ち出してきて、先ずは世界の平和がなければ個人の平和もない、家庭の幸せもないと折り畳んでくる論法に疑問をもっているからである。そして「修正」がそういう「外枠」の論議であったということである。

10日、ジャーナリストの鎌田慧氏と、作家でノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏が会見を行った。両氏は2011年、内橋克人氏、落合恵子氏、坂本龍一氏、澤地久枝氏、瀬...
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