2015年12月26日土曜日

クリスマスはテロリストの祭りの象徴-モミの木、ヤドリギ、ヒイラギについて

クリスマスの時にツリーとしてまたクーロン(丸い輪)として飾り付けに使われるモミの木(sapin)やヒイラギ(houx)や、ヤドリギ(gui)がキリスト教徒でないセルトやゴロワの異教徒の聖木であって、4世紀ごろになってこの異教徒の不滅不敗の太陽を最高神とするミトラの春祭りが、キリスト教徒のクリスマスに取って変わったことなどは次第に忘れられてきてしまった。フランス人に聞いても明快な返答を得ることは少ない。この伝統行事の起源や何故これをするのかは無関心になっている。(パリ=飛田正夫2015/12/26 5:15日本標準時)



キリスト教文明に限らず、樹木が精神安定剤の役割を持っていることは古今東西の共通現象ではある。キリスト教徒にとっては、聖家族がエジプト難民となる過程で、ヘロド王の兵士から逃れたのにヒイラギの木が役立ったという話しが大事な意味がある。


したがって、ヒイラギはキリスト教徒にとっては特別な意味があるわけで、キリストの誕生と結び付けられてその生誕を祝うナティビテの祭りであるクリスマスと結びついている。福音書によると、ヘロド王がベッテルハイムの集落(本当はガリレGaliléeであった)で、予言書が宣言するユダヤの王になるというユダヤ人の新生児を殺害しようと探していた。そこでマリヤとジョゼフは子供のキリストをつれてエジプトに難民として逃げるわけだ。伝説によると、兵隊の一軍が近づいてくると、三人はヒイラギの繁みに隠れた。棘のある厚い葉の裏に隠れたので奇跡的に逃げられたという。そのために、マリアはヒイラギの木を称賛し、自分たちが保護された不死の記憶の象徴として、いつも緑であることを願ったのだという。ヒイラギはキリスト教徒にとってその棘のある葉はキリストの棘の冠であり、赤い玉(実)はキリストの流した血ということになるという。



キリスト教徒には悪魔除けの意味が出て来るのである。ヒイラギ(houx)から来た動詞でhouspillerというのがあるが、これは叱りつけるとか、やっつける、追い払うなどの意味がある。


ヒイラギの実や葉は、木を切った丸太の形にしたクリスマス・ケーキなどにプラスチックやアーモンドの粉などで作ったヒイラギが乗っているのを見る事ができる。





ヤドリギ(gui)は百種類ほどの木に寄生するが、セルトの時代には、これが樫の木に寄生するヤドリギだけが珍重された。破壊できない希望のシンボルとして聖木とされた。セルト語ではヤドリギ(gui)は全て治療する(guérit tout)の意味があるとされる。そのために悪魔除けの意味で、ヤドリギの白い玉(奬果)や葉を家の入口などに飾るのである。

ルトの祭式者ドルイド(druide)はこれを金の鎌で12月25日と1月1日に切った。この期間が一年で一番太陽が低く夜の長い期間であったからだという。これは不死と光の再来を象徴する聖なる儀式であった。現在では、パリやその近郊でクリスマスに使用している葉はヤドリギではなくなっている。ひと昔前まではパリだけでなくノルマンディのグランビルやブルターニュのサンマロからロンドンなどにも出荷していた。


この常緑樹であるヤドリギは、セルトの祭式者ドルイド(druide)はこれを生命の木としていた。この木が悪い邪気を払い魂を清浄にし病気を治す護符の様なものとして考えていた。今はモミの木のクリスマスと新年の祭りにはフランスもそうだがヨーロッパの北部ではヤドリギの葉と白い奬果を家の扉の外側や天井に吊るして、繁栄と長寿のシンボルとして飾る。


ヤドリギの場合には、5月1日のミュゲ(スズラン)と同じように、「幸せの扉を開く」という意味があるが、これには条件があって、12月のクリスマス以前に採って、これを飾った下でキスをして、1月6日の夜に焼くことが条件助られている。その場合、この習慣によると年内に結婚することになるということらしい。


ヤドリギの白い真珠のような奬果を飾るのは次第に消滅化してそれに代わって、ヒイラギの棘のある光沢のある葉と赤い実を、丸く束ねた輪っか(ギルランド)やモミの木のツリーに一緒に飾るようになってきた。このように都市部では特に変化が激しいようだが、地方へ行くとまだヤドリギを飾る習慣が根づよく残っているという。


ここにフランスの歴史におけるヒイラギを支持する一神教のキリスト教とヤドリギの伝統を守る多神教のセルトの神々との戦いがまだ終わってないクリスマスを垣間見るのである。セルトの神々が粛清されるキリスト教によるテロによって多神教は死滅したが、その聖木ヤドリギはクリスマスの中に延命してきた。今、新たにそのセルトの痕跡はキリスト教の記憶を強く持つヒイラギによって塗り替えられようとしている。見方によっては、クリスマスとは、異教徒を粛清したシンボルである。一神教の多神教へのテロリストの祭りだったともいえそうだ。

キリスト教のクリスマスや新年の飾りつけは、現代のキリスト教徒が意識するしないにかかわらず、そこには古代セルトの多神教の信仰を意識した、敵対的な魔除けの意味がある。






























モミの木は、現在知られているツリーとして15世紀には次第にドイツやノルウェーのプロテスタントの間に広がって、キリストの誕生を表現したナティビテに現れてくる。


カトリックではアルザスのセレスタ(Sélestat)が最初で1521年にモミの木が使用された。18世紀にケベックへ19世紀に米国に広がった。クリスマス・ツリーとしてモミの木が一般化したのは19世紀末になってからである。

モミの木は、冬でも緑の葉であって、匂いが気持ちの良い木である。家屋や家畜小屋を稲妻から守る意味があり、不死と希望のシンボルである。この葉を大きなドーナツ型の輪(クーロン)に束ねたり、そのまま幹を切って台座にのせてツリーにして飾ったりする。丸いクーロンにした場合には、この上にヒイラギの雌株に付く赤い実を散らしてクリスマスの飾り付けにする。現在ではこれが簡略化されてモミの木の上に、大小のプラスチックなどの赤い玉がヒイラギの実の代わりに使われて、付けられるようになっている。2014年度はフランスでは570万本のモミの木が使われている。