2017年7月8日土曜日

現代の「ユマニテ」破壊の再生で「ギリシャ・ラテン語」を読むのではなく、羅什の漢訳「法華経」を学びたい

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎08/‎07/‎2017‎‎-12:51)「ギリシャ語とラテン語の必要性に関して」(De la nécessité du grec et latin)という本をGilles SiouffiとAlain Reyが書いている。これを昨夜読んでみた。全部は目を通してないが興味のある所を少し書いてみる。ギリシャ語とラテン語だが、現代フランス語に対してこの二つの古代の言語は「死んだ言語」だと言われていることが紹介されている。先日、フランスでは下院議会の選挙があった。その少し前に学者や政治家を招待してデバ(論争)を行う視聴率が高い長時間のフランス国営放送テレビA2の「私たちは寝ないよ」( On n'est pas couché)という番組で、ここにナジャッ・ヴァロー・ベルカセム(Najat Vallaud-Belkacem)前教育相が、第5回目の出演をした。この番組のレギラー登壇者になっている時事評論家で金髪女性のバネサ・ブルグラフ(Vanessa Burggraf)さんが、ベルカセム教育相が話してない事を話したように誤解させる発言をテレビ報道したが、その誤った姿勢をルモンド紙やパリジィエン紙、オブセルバトワール紙が取り上げて指摘した。この深夜番組で被害者と加害者の両者がデバ(論争)したのである。ベルカセン教育相は「ギリシャ語とラテン語」を初等教育から排除するという指摘をしていなかったが、これをしたと嘘の報道をしたメディア評論家のバネサ・ブルグラフの言葉を信じてしまった父兄は多く、その誤報を基にした批判が教育相に向けてなされた。それが更にニュースを拡大していた。誤報を訂正するのに時間がかかることを知っていて、その合間に選挙というやり方が存在するのはメディアでは知られていていてこれを利用したと見られるケースは多い筈だ。それはメディアをかなり統制できる権力を握ってないとできないのも確かである。マクロンはこれをサルコジや放任主義のオランドと違うやり方で対応しようとしている様だ。この対応の違いは民主主義にとって前進する方向であることを願いたい。

この問題発言に関係したかはわからないが、その直後にこの夜間番組のあるA2から彼女は姿を消した。

誤解するといけないので二三付け加えたい。A2というテレビは日本と違い国営放送であっても、与党社会党のメディアというわけではない。むしろサルコジ前大統領の時代に局長クラスの任命がサルコジから直接あって、サルコジ側のテレビ局であるとも言える。
最近エマニュエル・マクロン大統領になった頃に、有名なA2の長期レギュラー報道アナウンサーのプジャダス氏が急遽辞めることになった。これを喜ぶ人は多かった筈である。この人はセゴレーヌ・ロワイヤルの時もフランソワ・オランドの時も大統領選挙の最終テレビ・デバ(論争)を担当してきた人である。
マクロンは、2017年の仏大統領選挙の予選選挙(プリメール)の時に、すでにA2のこのプジャダスの口の挟み方を指して、これを厳しくテレビ上で叱咤していたので、これを記憶している人もいるだろう。
今回の下院選挙を前にして、バネサ・ブルグラフ(Banessa Burggraf)さんの教育相への誤報は、故意に行われた可能性が高いのであった。ベルカセム教育相は「ギリシャ語とラテン語」を廃止して「アラブ語」を必要科目にする考えなのだという誤報まで便乗上乗せされて、「ギリシャ語とラテン語」を廃止されて失望した父兄からの反対する声がテレビで紹介されていた。確かに私達の聞いたのでは、この誤報をテレビでは何度も報道していたような印象が強い。バネサ・ブルグラフさんの誤報を魔に受けた人は多いのではなかったかと思う。
しかしこれが直接の影響かは判断が難しいが、下院選挙では僅かの差でオランダ大統領の切り札だったチャーミングなナジャッ・ヴァロー・ベルカセムさんは負けてしまった。
話が大部横道にそれた。私はこの「ギリシャ語とラテン語の必要性に関して」という本が出たばかりなので、少し読んで見たのである。
日本語で書かれた本ではなくて、フランス語の本なので一応どんなことが書かれているかを、私の関心で拾ってノートしてみた。
「一世紀前からラテン語はインド-ヨーロッパ語圏からは、孤立していたことは知られている。その先祖はインド・イラニアンとアルメニア語だったと思われる」
「Latiumというローマ地方の地理的な名称はラテン語のlatiumから来ているとして、plaineという語が言語起源ではない。」
「ゴロワ民族の人々が自分の言語を支配していたのではなく、紀元前52年後にローマのシーザーに順応した人々の間で理解されて話されていた地方言語と考えて、ケルト語がフランス語の原型とは考えないとしている。」
ゴロワが、「ケルト語をローマ支配の後に急速に捨てた理由は、利益的なものからだとされる。」
「このゴロワが使用していた地方言語は話し言葉としてだけ6世紀頃まで使用されていた。」
「このローマ人がセルティカ・ガリカ(Celtica Gallica)と呼んだ言語を話す人々は1000万から2000万人もいた。文化や民族的感情や宗教や詩もあったが、書かれたものは極めて少なかった。」として、「農業や樹木や武器や土地や都市名などに多くの現代フランス語への痕跡があると説明し、その実例を挙げている。」
「ラテン語は9世紀にヨーロッパ全土の言語になった。ラテン語は土地によってアクセントや話し方が異なっていたが、数世紀に渡って話された言語でもあった。」という。しかし、どのようにして全ヨーロッパで共通語として話されたのかは、説明が無かったようだ。通訳がいたのかも知れない。ギリシャ語はフランス語の中にはテルミノロジィーとして入ってきたと言う。
「フランス語の場合17—18世紀に「ユマニテ」(humanités)を「正直な人」(honnête homme)と呼んだ。この価値はモラルというより美的な観点からであった。18世紀にはこの「正直な人」は、特に世界に開かれた文人を指すようになる。そこには18世紀のブルジョワジーの台頭と共に啓蒙のイデオロギーがあった。17世紀には「正直な人」(honnête homme)は学者や専門家を指さなかった。
「18世紀はギリシャ語の重要性は変化無かったが、ラテン語は教育上で批判され、その後の3世紀に渡ってラテン語は専門家の第二次言語にされてしまったが、ギリシャ語にはそういうことはなかった。経済・政治・民主主義が生まれた。古代ギリシャはここでまた哲学が生まれた。」
「19世紀にはラテン語とギリシャ語はフランス教育の中で重要な位置を占めていたが、これが今はつまらない学科の代名詞、苦労して学んでも長い時間がかかるわりには中味の無い苦痛な徒労を感じるものだとの批評になっている。が、はたしてそれはラテン語とギリシャ語のせいなのか?」と著者は問うている。
「ラテン語はローマ帝国以前から教えられ、「聖なる言語」として集団的に書き読まれ。時には発語されていた。」言語だという。
この本の中で現代でも新語を造くる場合に、このラテン語やギリシャ語が考慮されることが書かている。他のヨーロッパの言語の中でゲルマン系の言語やヘブライ語などと比べて国際性があったことにはラテン語の持つ「ユマニテ」という観点から指摘されている。しかしながら現代はこの「ユマニテ」の行き詰った時代でもある。もう一度ラテン語やギリシャ語の隅を探して、はたしてそこに何かを発見することはできるのだろうか?。
著者は12世紀辺りを勉強する時に、現代とは意味が異なり逆になるラテン語があってラテン語の知識が必要だと言っている。しかし我々はロマネスクやゴチックの遺跡を訪ねることはあるが、そこに書かれた文字を見て、あれこれ論考するわけではない。おそらく研究者がそれらを正確に訳し直して説明を加えているだろう。
そうして見るとこのラテン語やギリシャの古典の言語には「労多くして益少なし」という私の好きな文言があてはまるようである。でも今から古典言語を勉強しようとはちょっと決意し難いのである。それよりは「ユマニテ」の生き詰まりを考慮するならば、ラテン語やギリシャ語、アラブ語などではなくて、もっと東方の言語である中国語を勉強して毎日朝晩読んでいる鳩摩羅什の「法華経」の漢訳文を文上だけでも読めるようになりたいものだと思うのである。