2016年2月15日月曜日

パリ近郊に宗教各派を収容 宗教分離の名で実験的に開設

(パリ=飛田正夫2016/02/15 20:50日本標準時)パリ近郊のセーヌ・エ・マルヌ県のブッシー・サン・ジョルジュ市に4年前に設立された「宗教の広場」(Esplanade des Religions)には、仏教寺院やユダヤ教会、キリスト教会、イスラム寺院、様々な宗教の流派が隣り合っていて、簡単に行き来ができ話し会いができるというものだという。なにか宗教の自由性を封鎖するような宗教監禁の実験的収容所のようにも思える。協会は、来週にも複数の宗教で作る「宗教の広場」(Esplanade des Religions)協会が、みんなが一緒に暮らすことを鍛え進めることを目的にして開設される。

この構想は2012年に同市セーヌ・エ・マルヌ県のブッシー・サン・ジョルジュ(Bussy-Saint-Georges en Seine-et-Marne)の市長だったユイグ・ロンドー(Hugues Rondeau)氏の提案したものだ。市の土地を安価な値段で売却することを条件に建築物の荘厳さを保ち、各宗教が尊厳し合って「みんなが仲良く暮らす」という価値を分け合うことを約束条件としている。

しかしこれは何となく、籠に入れられた宗教の見本市みたいで、フランス共和国の政教分離(ライシテ)の精神の前提となる宗教の自由にも反していると思える。フランスのライシテの価値である「みんなが仲良く暮らす」ということは公共性の場における約束事なのであって、地区を作ってその中に宗教を押し込めるゲットーのような宗教収容所ではないはずだ。

創価学会はフランスではキリスト教は劣っているとか誤っているとかの批判をしてはいけないと言っていたが、共和国のライシテは論理的な宗教批判を禁じてはいないのである。今の様なテロリズムが多発し、人種差別が宗教から引き起こされている時代にあってはキリスト教やイスラム教などの問題を批判しないで隠し温存し合っていることが最も危険なのであると思える。悪を糾さない偽った寛容は問題を悪化させる。悪を除くことが彼の親であるということは、なかなか創価学会などには理解し難いことかもしれない。