創価学会・公明党はその思想的創立者の一人であった戸田城聖の遺訓に従って日本の原発をサタンの所作として批判しなければならなかった筈だ。しか し、「反核・反戦」から「不戦の戦い」の運動論へと展開する中で、次第に原発を核の平和利用と捉えかえて放射能汚染や原子力発電基地建設には反対をしてこなかった。戸田城聖の遺訓は破られた。これが福島原発事故の宗教的・政治的な根本原因である。創価学会・公明党の失策だったと鑑みる。他党や他の宗教と異なり、この創価学会・公明党は戸田の遺訓である昭和32年9月8日 の「原水爆使用者は死刑に」と題した横浜三ツ沢競技場で開催の青年部東京第五回体育大会での講演の思想後継の体現者である。これを創価学会・公明党は本来ならば恩師第二 代会長の遺訓の第一としなければならなかったのである。
もちろん原爆と原発とは異なるという主張もあるに違いない。しかし福島の原発事故は広島・長崎に落とされた原水爆の何百倍もの放射能をばら撒いてしまった。被爆者の恐怖は今後ほとんど半永久的に続くと見られる。
核の及ぼす悲惨さの哲学的・宗教的理解を戸田は創価学会の青年たちに伝えたはずであった。少なくとも日蓮大聖人の仏法を信じる者ならばそれが理解できたはずである。
政治と宗教は一般的には一致すべきではないが、公明党は創価学会の池田大作の思想をバックボーンにしているのか反核・反戦や不戦はいっても反原発や反原発基地建設を宣言しなかっ た。
世界にはキリスト教やイスラムの宗教を政治国家の原理にしている国もある。そういう政治と宗教が結びついた創価学会・公明党が自民党と与党を組んで日 本の国を正しく指導できなかったのは、この仏教理解に誤りがあったからである。
戸田の原水爆禁止宣言を文字面でしか見て無くて、その生命尊厳の深いところでは理解で きてなかったからだと悔やむ。再度繰り返すことになるが、他党や他宗教と異なり日蓮大聖人の仏教を一番近いところで学んでいる団体と彼らは自称していながら本当に理解してなかったどころかこれを裏切ったからだ。
この創価学会による日蓮大聖人の仏法誤認が続く限り、また戸田城聖の遺訓を継承できなかった為に福島原発事故の第二次放射能汚染は今後も拡大していき、日本社会に大きな禍根を残し続けることになる。この誤れる法然念仏の思想を退治しなければならない。