パリのマレ地区のピカソ美術館が5年ぶりに2015年にオープンされたが、なんといってもこの朝鮮戦争の絵が一番の人気で人だかりといってはなんだが、ここだけは多くの老若男女の鑑賞者がじっと佇んでいる場所なのだ。パリのマレ地区のピカソ美術館が5年ぶりに2015年にオープンされたが、なんといってもこの朝鮮戦争の絵が一番の人気だ。人だかりといってはなんだが、ここだけは多くの老若男女の鑑賞者がじっと佇んで頭を垂れている場所なのだ。絵は男も女も裸だが、子供たちは女性側に一緒に描かれている。妊婦のお腹の中にはもうひとつの生命があるはずだ。マッカーサーは「この3日間は兵士の自由だ、婦人や娘たちは君たちのものだ」と宣言したという。奴(やっこ)や奴隷のよに自分の考えを持たない兵士たちは、指揮官に号令を掛けられて虐殺を行った。占領軍の米司令官マッカーサーが日本に来たことを創価学会の池田大作はまるで救世主のように「梵天君」などと言っていたが、それは仏法に説かれた国を守る諸天善神の働きなどでは全然なかったのである。殺人兵器となった兵士が大殺戮をアジアの地でしかもアメリカが犯した。奴(やっこ)の様にして戦場に駆り立てられてゆく奴隷兵士となったのである。兵奴の果報が起こったのだ。
両者の間には川が絵の奥へと谷を蛇行して流れて断絶の構図を強調している。男たちの持つ銃剣は何も持たない婦女子に対し、あまりにも必要以上な装備の残虐性が逆に女性たちの生命の尊厳さを引き立たせている。奇怪なヘルメットを被った兵士の顔はすでに人間の顔ではなくなっている。婦女子を殺害しコミュニストの血を絶滅させようとした蛮行は、北朝鮮で1950年におこったが、これは戦争ではなく人種差別と人間尊を失った野蛮な殺戮である。ナチスがユダヤ人やホモやロマ人や精神的ハンディキャップの人々を大量虐殺したのと似ている。 |