2011年6月25日土曜日

オランド仏大統領選挙・社会党予選候補者=宿業や出自の不平等を許せない

6月24日、フランスの代表的な全国紙「フランス・ソワール」がフランソワ・オランド仏社会党(PS)前書記長(2012年の社会党大統領選挙候補者)にインタビューした。非常に興味深いものなので、以下に簡単に翻訳した。

① ─フランス・ソワール─あなたは政治以外のことをしたいと人生で一度は考えた思い出がありますが?

オランド あります。私はサッカーの選手になりたいと考えました。私は好きだったから。しかしすぐに自分にはチャンピオンにな る素質がそなわってないことを理解しました。それだからといって私が大統領になるというわけではない。そう叫んでからといって大 大統領が生まれるわけではない。

② ─あなたは沢山のディプロムを持っているのに、どうして「自分は普通の」候補者だなどというのか?

私は子供のときまじめで勉強が好きだった勉強をしなければ成功はしないとすべての生徒にいってきた。才能というのもあるがそれより先ず最初に努力である。

③ ─どうしてあなたは多くの試験を受けたのですか?

それは自分の人生を選ぶためでした。喜びでしたとうのではなく両親やその親たちが教師出会ったことがあると思う。フランス国立行政学院( ENA)を選んだが私の関心は自分の考えを選挙にでて出来るだけ早く実践したいと考えるようになった。

④ ─それは両親の選択であったのか?

そうではない。私の父は民間の会社に入るのを希望していた。自分はかって一度も物的成功を得ることを考えなかった。私は公共の利益のために尽くしたい。

⑤ ─あなたの母親は社会保障で働いていて、父親は耳鼻咽頭科医であったが、家庭内で政治論議はしばしばあったのか?

政治は家族の会話の一部であっった。祖父は平穏な人であったが、父は右派系の人であった。母親は社会的な感覚があった。私のことは私が決めたのです。私の準拠個人は非常に多いのです。そして私は熟慮し情熱をもって左派と結婚した。

⑥ ─あなたはもしかして右派系になったのでは?

それはない。私は世界を変えたいし、私は理想の社会をさがしている。そして生存前に書かれた宿業や生まれながらの不平等を私は不正を許せないのです。

⑦ ─ミッテラン大統領の第一期の7年間の初めに経済担当の委員長をあなたは担当しましたが、その時代に大統領になろうと考えたのですか?

その時代に国家の最高責任者の権力というものを私は発見した。たとえばフランス共和国の大統領の機能とか。その後で私は政府のスポークスマンとしてまた歴史学者マックス・ガロ官房の所長としてそれを観察することに沈静していったのです。私は27歳で実習をしていたわけです。

⑧ ─あなたは「いつか、私が大統領官邸エリゼ宮殿の階段に立つことになる」といっているが?

私はいつも辛抱強く段階を超えてゆくことを主張している。先ず第一に必要不可欠なのは選挙であった。1988年、私はコレーズ県から大きな信頼を得て議員になった。

⑨ ─いつからなのか、その決意は?

私の決意は、2008年社会党(PS)の書記長を辞任したのは、時が来ていると考えたからだ。

⑩ ─あなたの動機ですが、ドミニク・ストロスカーン国際通貨基金(IMF)専務理事がアメリカで拘束されているので大統領選挙候補者の代行としてマルチンヌ・オブリ仏社会党書記長が考えられているようだが。それとの違いは?

私は区別をしようとは考えない。私はフランス人の将来に信頼を与えたいという確信と態度を表明したい。私は我々の経済の再建と不平等の減少のために我々の周囲の共同価値というものに和解をもたらせたいと考えている。私は国家の手段と大統領の機能をフランス人の問題解決のために貢献できるようにしたいと考えている。それが総ての国家の地方や社会団体、市民などすべてを動かす力となると考える。
私にはニコラ・サルコジとマリーヌ・ル・ペンは競争相手でしかない。社会党(PS)の大統領候補選挙は2012年の唯一重大な勝利のための一段階でしかない。

⑪ ─青年があなたの選挙戦の主要なテーマの一つになっているが、はじき出された青年たちにどのような援助の考えをもっているのか?

青年、総ての問題がそれである。彼等にフランスが成功の機会とすべての条件を与えられなかったのならフランス全体が後退することになる。青年の間には不安が高まっている。しかしさらに親たちはもっと心配しているのだ。この問題は社会的階層を超えての総ての人々の問題となっている。再度フランス人の夢をかみ合わせることをしなければならない。この集団的希望が前よりも各世代がより良く生きられることを可能にするのである。

⑪ ─それを可能にするあなたの提案は何なのか?

仕事をもった若い夫婦が安心して仕事ができるように就学時期までの保育所を強化する「世代間契約」といった考えがある。また雇用者は高齢者を年金納入期間の満期まで雇用し続ける。企業は25歳以下の青年を正規雇用として雇い3年間はすべての社会保障分担金を免除する。ここに企業内での最高齢者から最若年者への経験と知識の世代間伝達があり世代間の和解があると考える。

⑫ ─学校は?あなたは何をそこにもたらせようとしているのか?

毎年12万人の青年が何の証明書も持たないで卒業している。私は今後10年間に学校での退学や排除、侮辱など一つづつ個人的に対策を練って失敗をどんな生徒もないようにしたい。二つ目には、継続した教育指導が成功へ導くことになることを生徒自身が認識しそれを見つけることができるようにすることを奨励する。そして高等教育を更に充実させてグランゼコールとの直接連携を持たせ、また就業化への関連学校などをつくる。それは長期の学業にもかかわらず就職ができなかったり、学業を中途で止めてだいなしにすることを避けたいからだ。

⑬ ─ハンディキャップの子供たちをあなたはどのような位置を与えるのか?法律はあるが学校には行けないという現実があるが。

それはサルコジ候補の選挙公約であったが失望されられたものである。ハンディキャップの子供たちはできるだけ長期にわたり就学可能なようにしたい。付き添いの職が削減されて、彼らがそこにいない間に、更に重大なことには学校生活の補助者が絶えず変わった。それで子供と大人の間に長い熱意を築く可能性がなかった。我々は総ての子供を必要としているのであって、私のスローガンはそれは、「いっしょに成功するために我々はみんな全員が必要だ」ということだ。

(つづく)