2011年1月21日金曜日

ハイチの独裁者、25年の亡命後 仏から帰還 アムネスティ・インターナショナルが人権侵害裁判を要求

ハイチの独裁者ジャン・クロード・デュバリエは1月18日にハイチ警察に逮捕された。デュバリエが25年間亡命していたフランスから1月16日にハイチに帰っていたためだ。デュバリエの統治下1971~1986年の15年間に基本的人権に対する侵害が行われ、特に虐待や裁判のない自由裁量の監禁と殺害で数百人のハイチ人が犠牲になっている。人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルの特別諮問委員であるジャビィエー・ズニガ氏は「逮捕は歴史的なものだ」と評価している。また「デュバリエの審査が公平で独立した運営」でなされ、その基本的人権侵害行為が裁判所で裁かれるようハイチ政府に要求した。
デュバリエに抗議する民衆蜂起で1986年ハイチを去ってフランスに亡命した。このときにデュバリエを支持する軍隊や自決戦士(トントン・マクート)が民衆鎮圧の先鋒となって暴力を振るって多くの犠牲者がでた。

デュバリエの取り巻きのトントン・マクートは民主主義を破壊しハイチの独裁化を進めた分子であるが、1986年に解散されている。デュバリエは別名「べべ・ドック」ともあだ名されているのは、ハイチの「Port-au -Prince」(王子の港)に由来しているという。