フランスのサルコジ大統領は大統領選挙を前にしてイスラムの脅威を掻き立てて保守への信頼を得ようとしているのか、「仏のイスラム問題」を論議(デバ)のテーマに選ぼうとしている。これを危険視するバイル議長からは、フランス共和国の基本法である「宗教と国家の分離」のライシテ(政教分離)法を犯すものとして、サルコジ大統領の宗教観と文明観の誤認が諌められた。3月5日夜20時30分からのフランス国営放送・テレビA2で放送された討論会「決めるのはあなた(A vous de juger)」で指摘されている。
「世界の中のフランスのイメージ」というテーマでの、アルレット・シャボーさんの司会でのデバ(討論)テレビ・番組である。参加者はドミニク・ド・ビルパン前首相、ジャン・フランソワ・コッペ国民運動連合(UMP)議長、モデム・バイル議長、ピエール・モスコビッチ元欧州問題相(社会党議員)が会場に集まった。またペン党首と外務省のラマ・ヤッド人権関係国家書記官はテレビ中継で参加した。
「みんなそういっているのは素晴らしい、と今しがた、あなたはいったが、そうではないのです。まず我々がいわなければならないのは法律で、拍手喝采されて信ずべきものが法をつくっているのではない。法律に話す自由、振る舞いの自由を我々が見つけることができるということが重要なのです」とフランソワ・バイル氏は話す。
モスコビッチ氏は「地中海域同盟」は、今は機能しない。あるとしたらそれは「ユーロ地中海域同盟」だといった。
フィヨン首相の意見として司会者から「このデバ論議(フランスにおけるイスラム問題)がライシテ(政教分離)に新しい概念を与えるならば必要だ」とラジオRTLで話していると紹介された。
また新任のアラン・ジュッペ防衛相は一つの宗教だけが特別視されることを警戒していて、どんな宗教でもみんな自由で、イスラムでも何でも選ぶことができなければならないといっていることも紹介された。
フランス共和国の1905年法はライシテ(政教分離)が規定されたものだが、これはイスラムが問題にならなかった時にできた法律だ。誰が今イスラムを特別視しているというのか?それは極右で自分たちではないと、 与党UMPのコッペ氏。
1905年法を変えようとサルコジはしている。我々はイスラムを特別視してなどいない。しているのは政府の方だと、マリーンヌ・ル・ペン氏が述べた。
これにたいし、コッペ氏は1905年法を変えないと返答した。
マリーンヌ・ル・ペン氏は、それならば何故その法を変えずに適応することをすべきではないのか?やりなさい。適応させたらよいのです。何を論議しょうとしてこの「フランスにおけるイスラム問題論議」を取り出してきているのか?おかしいではないですか?
司会者のシャボー氏が、「コッペ氏は(変えると)いってない」と発言しているからと、マリーンヌ・ル・ペン氏に繰り返す。
学校の給食にイスラム教徒の食べない豚肉料理を加え、集会を禁止し、私企業や公官庁機関内での礼拝室を廃止し道路での祈祷を止めさせ、特別休暇(イスラムの宗教日)を拒否するとかを、(政府)は権力があるのだから、こういうことをすべきだったのでは、とマリーンヌ・ル・ペン氏。
コッペ氏はこれに答えて、我々は今後にそれらをやろうと思うと発言した。
マリーンヌ・ル・ペン氏は、もうサルコジ大統領は4年にもなるのに何もやってない。9年間も宗教を問題にしてきているのにと指摘する。
コッペ氏は、ブロカ(イスラム女性のベール覆面装束)の禁止、外国からの資金調達法を作ってイスラム寺院建設を透明にすることなどをやってきている、といっている。
ここで司会者のシャボー氏がバイル氏に意見を求めた。
フランソワ・バイル氏は、私は(シャボーのいうような)ここの教授ではないがとして、ライシテ(政教分離)は教会と宗教からの政治の分離のことで、ライシテ法の言っているのは基本的にはカトリック教会、プロテスタント教会、そしてユダヤ教会を対象にした法で、1905年以前に建設された教会やイスラム寺院や寺とかを公共にわたすと国が言った。そういったからには確かに、その当時イスラム教徒はフランスにはいなかった。今はフランスにイスラム教徒が多い。このデバの裏にはイスラムはフランスに適合しないという考えが潜んでいる。
バイル議長は話を続けた。
サルコジ氏の言ったイスラム発言を再質疑しなければならない。もし私がイスラム教徒だとして、これが、私が大変にサルコジ氏が進歩したと思えるところだが、それはこういうことだ。すべての宗教はどんなものも相互に信じても信じなくても公共の場では国はどんな労働者(アルザスなど一部の地方では問題の残る所もあるが)も差別を受けないとうことだ。たとえばパリのデファンス地区のピュトーでは回教寺院を建設している。
ピエール・モスコビッチ社会党議員はライシテ(政教分離)とは何か?それは簡単なことだ。三つあり、一つは意識・思想の自由ということ。二つ目は宗教の自由。三つ目が1905年法のライシテでこれは変えることはできない大きな法律なのだと、発言した。
サルコジ大統領の提案するいまのデバ「フランスにおけるイスラム問題」は、全くこのライシテ(政教分離)法の基本思想を軽視した「時代錯誤の論議」であるとモスコビッチ氏は捉えている。
モスコビッチ氏は続けて、フランソワ・バイル氏のいうようにこのデバの裏には「イスラムはフランスに適合しない」という危険なものがある。私はイスラムがライシテに反するとは思えない。このデバは完全にアナクロニック(時代錯誤)なものだといっている。
90年代初めにフランスにおけるイスラム女性のフラー(被り物)で国家を挙げてのデバ(討論)があり、イスラム寺院建設の財政にも疑いをもった。
ピエール・モスコビッチ社会党議員は、フランスは一度も多文化主義であったことがない。自分は1905年法を変えてはいけないと思うと語っている。
ドミニック・ドゥ・ビルパン前首相は、デバ「フランスにおけるイスラム問題」は誰にとっても有用なものではないと考えると発言した。そして、どうしてかというと、フランスの自由・平等のような大法であるものにライシテ(政教分離)法があるが、これに触ることは、フランス人を分断することになるからだと話した。この法は開かれた、寛容と均整がとれた法だと考える。さらにフランスが現在難しい時代にあって、多くの人々が苦しんでいる。このデバは人々の関心ではない。ミナレット(イスラム寺院の尖塔)はフランスには2000程あるが、あと1000ほど必要だ。イスラム教徒が路上で礼拝するのではなくて、礼拝所をつくるべきなのだ。フランスは市長がそれを決めることが今はできるものだ。
「アラブ諸国の春」で政府が困ってこのデバを出してフランスのイスラムを分離させようとしている。このデバの必要が私には理解できないのである。
「アラブ諸国の春」で政府が困ってこのデバを出してフランスのイスラムを分離させようとしている。このデバの必要が私には理解できないのである。
そうではなくて、青年の雇用問題とかフランスの購買力についての建設的な論議(デバ)を開くべきなのだと、ビルパン前首相は発言している。
ビルパン氏はさらに続けて、これまでに政府はアイデェンティティー・ナショナル( l’identité nationale国民の同一性 )」デバ、ロマ人論議(デバ)、ブロカ(イスラム女性のベール覆面装束)デバ、治安対策(セキュリティー)デバなど多数のデバがあったが、こんなことばかりやってきているが、今フランス人の必要なのはパン・パン・パーンと論議をやっている時ではないのです。緊急に必要なことをやるべきなのである。大統領選挙のためだけのデバであってはならないと、サルコジ大統領の「フランスにおけるイスラム問題」デバの生産性の無い事を批判した。
ここで司会者のシャボー氏が、サルコジ氏が最近述べて問題になっている発言を引用した。「キリスト教はフランスの持つ素晴らしい文明的遺産だ」と発言したこと(3月3日サルコジ仏大統領は、5世紀のロマネスク建築であるピュイ・アン・ヴエレー教会を訪問してこの発言をした。これについては既に一文を書いたので文末の【関連記事】を参考願います。)を取り上げて、「これは共和国フランスの大統領として正しいのか、それともいい過ぎなのか?」と発議した。
民主運動(モデム)のフランソワ・バイル議長は、私はキリスト教徒であって教会に祈りに行く、ということは、私はフランスの少数者であるわけだ。1905年のライシテ法以前に建設された教会・寺院は約98%がそうだが、これは国や市町村が金をだして屋根の修理や電熱費などの経費を負担している。毎回、この宗教と国家とを混ぜこぜにしていると危険を冒すことになる。だから、国の最高権威者がすべきことではないといった。
勿論のこと、根はフランスは、キリスト教だがしかし、その根は、ロマン(ローマ文化)である。法や言語はロマンである。フランスはユダヤに根があっる。旧約聖書がそれで美術館の絵はすべてこの旧約の絵であることを見ればわかることである。アラブからの脈絡は1.2.3.4.5.という。これはアラビア数字であると、バイル議長は指摘してフランスの文化が一元的なキリスト教に限らないことを述べた。
勿論のこと、根はフランスは、キリスト教だがしかし、その根は、ロマン(ローマ文化)である。法や言語はロマンである。フランスはユダヤに根があっる。旧約聖書がそれで美術館の絵はすべてこの旧約の絵であることを見ればわかることである。アラブからの脈絡は1.2.3.4.5.という。これはアラビア数字であると、バイル議長は指摘してフランスの文化が一元的なキリスト教に限らないことを述べた。
それなのにどうしてフランス国が一つの根だけを選ぼうとしなけらばならないのか?根はボルテール主義。光の哲学で、宗教的確信を利用しているのは、つまりサルコジ氏は、自分(バイル議長)が最初にサルコジ氏の発言に反応し指摘したのだがとして、「教師は僧侶とことなり、モラルの価値を伝えられない」といった。そんなことは言ってはいけない。大統領としてそんな言葉を口にして決めつける権利はない。そいういうことはすべきではないということです。なぜならば、共和国フランスの教師は、生徒から信頼されているのだから、と話してサルコジ大統領の宗教観と文明観の誤認を諌めた。