2011年8月12日金曜日

パリのトロカデロ広場から「福島へのメッセージ」、「広島・長崎は福島でそれはパリの運命」




 パリのトロカデロ広場から「福島へのメッセージ」、「広島・長崎は福島でそれはパリの運命」


 3月11日にはじまる福島原発事故は、広島・長崎に落とされた原爆が大殺戮兵器という軍事的側面の恐怖だけでなく原爆の平和利用とされる原発でも放射能汚染や被爆の問題が隠れて実際にありえたことを再認識させられた。これが今年の広島と長崎の記念日の意味は特別だとしてフランスの反原発派の人たちが認識しているものだ。3月13日、ヨーロッパ・エコロジー・緑の党のエバジョリ欧州議員らは、1948年パリの国連総会で世界人権宣言が発せられたエッフェル塔の対岸の丘に立つシャイヨー宮殿広場で、「福 島はパリだ」「原発はノー・メルシー」と叫び、バンドロールを掲げて連帯の抗議集会を開いた。これがフランス国営放送A2で紹介された。このときに初めて「広 島・長崎は福島でそれはパリ」の運命なのだと認識させられた。 (パリ=飛田正夫

 
 今年の広島・長崎の記念日は福島原発事故のせいで原発推進国のフランスには特別な意味を持つものになったはずだが、しかしフランスのテレビは原爆と原発の結びつきが指摘されるのを恐れてかきわめて控えめな報道で国営テレビA2でもほんの数十秒だけ今年も追悼が行われるというごく簡単なものであった。あれから5ヶ月がたち、8月の6日と9日の記念日を迎えた現在、世論が反原発へと転じることを恐れているのかフランスの政府寄りのメディアは福島原発事故と広島・長崎の原爆とを同じく考えたくないようだ。
 
 以下に紹介するのは数少ないフランスでの広島・長崎の原爆投下を記念する集会であるが、そのほとんどが反戦や反核や不戦という核の軍事的脅威に反対・抗議するだけではなくて、放射能汚染や被爆といった核の平和利用でおきた原発への不信や危険性に端を発している。そういう「広島・長崎の日」への連帯であったことがわかる。


  トールーズの北100キロほどにあるロット県の「原発廃止」グループの15人ほどのメンバーは広島と長崎に原爆投下された日を記念して、仏軍のすべてのシステムと武器買収を担当するグラマ研究所の入り口でチェルノブイリと福島の原発事故を訴えて抗議した。これには近隣の町のフィジェアック町助役アントワーヌ・ソト氏や欧州エコロジー・緑の党のジャン・デセサルド上院議員も参加した。1分間の黙祷の後でみんなで手をつないで輪になった。そこでデセサルド氏は原発政策には3つの嘘があると発言した。安全性の嘘。フランス電力(EDF)が社会を信じさせている嘘。そして経済の嘘があるとしてエネルギーの価格の自由化で、電気料金は上がる一方だと訴えているとフランス南部ピレネーの地方紙「ラ・デペシェ・ド・ミディ」は報道している。

フランス通信(AFP)によると9日、核兵器反対グループ「タベルネー監視の家」の20人ほどがパリ北西15キロにあるタバルネー原子力軍用基地の前に集会して米国によって落とされた広島と長崎の原爆記念日を追悼した。「沈黙の中に灯火して、琴の音をバックに日本の詩が読まれた」「毎年この日にわたしたちはフランスの核兵器廃絶を要求して集会する」と。これを主催したドミニク・ララネ氏は「この問題はすべての国に関係する」といっている。 集会では横断幕には「原子力兵器の廃止」、またプロカードには「広島を繰り返すな」と書かれている。同グループの20人ほどは6日から8日まで断食で抗議を続けている。この「タベルネー監視の家」はフランスの反原子力運動の草分け的存在である科学者で思想家のテオドール・モノド氏と平和主義者ソランジュ・フェルネ氏とが27年前に創設したもの。

  6日、平和運動の「環境への行動と永続的発展」協会(AE2D)の活動家約20人は原子力潜水艦の停泊基地であるブルターニュのブレスト・ロンゲ島海域近くでピクニック集会を開催した。「今年の第66回追悼記念は福島原発の災害で特に重要だ」としている。

ブルターニュの地方紙「西部フランス」は8日、ブルターニュのカンペーから北東に30キロほどのコルヌアーユの町でも平和運動グループのメンバーが広島と長崎の日を記念して「犯罪行為は、現在の戦争と結びついている。アフガニスタンやリビアでフランスは特に関与している」とクリスチャン・コリマー氏は話した。

74歳になるジャン・サロウ氏は「当時はミサイルの弾道距離は500キロ2500キロほどだったが、現在は9000キロとなっている。核不拡散条約が調印されているが、爆弾は次第に強力なものになっている」といっている。サロウ氏はノルマンディーのシェルブールやロンゲ島の海軍工廠で原子力潜水艦製造に16年間勤務してきた機械工だ。同氏はアナトール・フランスの言葉だとして次の文を引用して語った。「人々は祖国のために死んでいると信じているが、実は企業家のために死んでいる」