2011年11月27日日曜日

マリで誘拐の2人は、地質学者でなく仏秘密情報局関係者

 11月26日にマリの北部のブルキナファソとの国境付近の観光地トンブクトウで欧州人の避難が完了したと伝えられた。前日に武装者によってドイツ人1人が殺害され一緒にいた3人は人質として連れ去られたという。25日にはフランスの特殊部隊が飛び立ったと短く伝えられたがフランス人が犠牲になったとは報道されなかった。マリ情報局によると、マリ南部国境付近のオムボリ(Hombori)の町で23日夜から24日にかけて、2人のフランス人地質学者が誘拐されて誘拐者と共にアルジェリア国境へ向かっているとされていた。しかしこの2人は地質学者ではなくフランス秘密情報局の関係人物だとラジオ・ヨーロッパ1が報道している。26日夜のフランス国営放送テレビA2では話されなかったが、同夜の仏民放テレビTF1では詳しく報道されている。
Mali : les deux Français enlevés ne sont pas des géologues...



 2人のフランス人はオムボリ(Hombori)のホテルで24日、昼間に誘拐された。これは当初はマリ企業の要請で仕事をしていた地質学者のフィリップ・ベルドン( Philippe Verdon)氏とセルジュ・スロボダン・ラザレヴィック(Serge Slobodan Lazarevic)氏だと報道されていた。仏特殊部隊は5台のヘリコプターが26日にはマリ中南部のグァオ(Gao)に到着したが兵士の数は知らされてない。

 2人の家宅捜査で彼らがマリにいた理由や名前の二重性の疑惑などに光を当てるという。仮定的な見解では彼らがフランス人(ニジェール(Niger)の4人)の解放のためにマグレブ諸国のアルカイダ(Aqmi)に働きかけようとしていたというのもある。

 しかしフランス政府では2人の活動をマリの仏大使館でも掌握していなかったという。サハラでのフランス人誘拐捜査を担当している外部秘密情報総局(DGSE)では、彼らの身元を直ぐに確認したという。

 特にラジオ・ヨーロッパ1の報道の後で、この2人の内の1人はフランス政府には知られた人物であったことが明かされた。ラザレヴィック氏は1999年には、仏のスパイ取り締まり局によって資金援助された違法組織網を狙ったセルビアでの裁判に姿を現している人物だという。セルビア裁判所によればユーゴスラビア大統領を努めセルビア初代大統領に就任したスロボダン・ミロシェヴィッチの暗殺を計った人物だと見られている。ハンガリー国籍も持つ同氏はモブツ大統領を支援するためザイール(現在のコンゴ)で闘う傭兵のリクルートに携わっているという。

 もう一人のフランス人フィリップ・ベルドン氏は、2003年9月にマダカスカルとタンザニアの中間にある仏領コモロ諸島で、元大統領護衛兵でボブ・デナール(Bob Denard)の側近コンボ(Combo)司令官によって信じがたいクーデタが引き起こされた中でアザリ・アスマニ陸軍相の権力転覆をはかろうとしたことで、逮捕されている。

 20人ほどの外国人旅行客は歴史的な町トンブクトウから首都バマコよりの南部のモプティ(Mopti)へ避難した。トンブクトウにはマグレブ諸国のアルカイダ(Aqmi)系の活動家が移ってきていて今回の殺害誘拐事件の犯人ではないかと見られている。

殺害されたドイツ人といっしょにいて誘拐された3人は、スウェーデン人、オランダ人、南アフリカ国籍をもつ英国人であった。

 フランス原子力産業のリーダーであるアレバ社の社員が2010年の9月にマグレブ諸国のアルカイダ(Aqmi)によってニジェール(Niger)のウラン鉱露天堀り現場(北部アルリット)で誘拐され、病気の仏の婦人1人と2人の男性は解放された。あと4人のフランス人はいまだに解放されてない。フランスは今回の2人を合わせると合計サハラでの人質は6人になるという。欧州全部ではフランスの6人と今回の2人を入れて計8人を数える。しかし、フランス特殊部隊の人質救済時の攻撃で誤って殺害されてしまったフランス北部出身の2人の青年や、仏人ミッシェル・ジャルマニー氏のようなマリで学校建設の人権支援活動をしていて誘拐され殺害された者もいることを忘れるべきではない。

 マリで誘拐されて隣国のニジェール(Niger)やモーリタニア、アルジェリアへ運ばれるのが一般的だという。誘拐された者はその後で様々な取り引きに使われるという。

【参考記事】