オランド仏大統領にサルコジ前大統領が「何故フランスはマリに戦争に行くのか」との一風変わった質問を7日の週刊誌「Valeurs actuelles」でした。これに対し「それは自由になりたいマリの婦人が弾圧に苦しんでいるからだ」「テロリストとの戦いだからだ」との答えが3月7日夜の仏国営放送テレビA2で短く紹介された。
▼オランド大統領のマリへの仏軍派兵の理由
左派系の週刊誌ヌーベル・オブセルバトワールfr.によるとサルコジ氏は「マリで何をするのか?クーデター政権を支援しフランスよりも3倍大きな領土を4000人でコントロールしようとするのか」などと言っているという。
これに対してはオランド仏大統領は「我々はテロリストや原理主義者や野蛮と闘う決意である」と述べまた、「宗教的な自由と闘う。それは我々は迫害にあったイスラム教徒の見方であるからだ」「マリの大統領が我々の来るのを要求したからで、選挙が組織されることを尊重しなければならない」と話している。
http://tempsreel.nouvelobs.com/guerre-au-mali/20130307.OBS1236/mali-critique-par-sarkozy-hollande-replique.html
マリのディオンクンダ・トラオレ臨時政府大統領は1月末に7月31日前に選挙を組織することを希望する確認を発表していて、1月中旬からはフランスやアフリカ諸国は2012年以来イスラム主義武装集団の手に落ちたマリ北部の奪還に参加していた。
▼忘れられたアルジェリアの日本人犠牲者
アルジェリア東部のインアメナ(In Amenas)付近のティガントーリン(Tigantourine)ガス田基地をマリ北部からやってきたイスラム主義武装蜂起集団「血の署名者」(Sinataires du sang)が襲ってそこで働いていた「日揮」の日本人らを捕虜にした。彼らが日本人十人を殺害したのか、それともアルジェリア軍「特殊部隊」がテロリストと外国人捕虜との見境いのない一斉掃射で殺害したのかはいまだに謎に包まれたままだ。
サルコジ前大統領の時にも同様な殺害は起こった
2011年1月7日夜に2人の仏人青年がニジェールの首都ニアメーからマグレブ諸国のアルカイダ(Aqmi)に誘拐されて同8日の夜中にマリ国境で死体で発見された事件では、この二人はテロリストに殺害されたのか、それともサルコジ前大統領が訪問先のマルチニーク島から戦闘開始を指令した仏軍「特殊部隊」とテロリストとの撃ち合いの最中に流れ弾に当たって死亡したのかは謎になっている。
▼仏大統領が起すテロリストとの戦闘での犠牲者
この二人の仏大統領のテロリストとの戦闘の背景には、2010年9月にニジェールでマグレブ諸国のアルカイダ(Aqmi)に誘拐されマリに連行された仏原子力産業の中心的存在アレバ社の社員4人が未だに釈放されないでいるという事情がある。そしてこの二人の仏大統領は共に総司令官として仏軍「特殊部隊」にテロリストへの攻撃を指令し無辜の市民に被害者を出してしまったという共通性がある。
人質になっているアレバの社員の安否を心配する家族側では、「この戦争を止めさせることのできるのは大統領しかいない」といっているのはそのためだ。
フランスの対テロリストの戦闘は大統領が一人で決めて開始できるということだ。議会や政府の話し合いとは無関係である。サルコジ前大統領がリビアのベンガジ反体制の国民評議会(NTC)を支援してカダフィ空爆の指令をしたのは友人の哲学者ベルナール・アンリー・レヴィー(BHL)と二人で相談して決めたので外相や防衛相も知らなかったといわれている。その理由は 「アラブ諸国の春」を支援できずに後手に回ってしまったサルコジ前大統領が人気挽回策としてリビアのカダフィ大佐を独裁者に祭り上げて叩いて見せたのだともいわれる。
▼アルジェリアの日本人10人殺害の真相
オランド仏大統領は突然に1月11日に仏軍のマリ政府支援の攻撃を宣言した。13日にはロラン・ファビウス外相はアルジェリア政府が同国領空を仏戦闘機が飛んでよいことを承認していると話した。アルジェリア政府がフランス軍を支援したとして「血の署名者」を名乗るイスラム主義武装蜂起集団の分派のモクタル・ベルモク首領はインアメナのガス田基地襲撃はアルジェリアへの報復だと犯行声明を出した。
オランド仏大統領のマリ政府支援はマリの大統領からの呼びかけに答えたものだとされている。しかしフランス国内では1月13日の大々的なカトリック教徒を中心にしたホモ結婚議案反対のデモが予定されていて大統領はこれを酷く恐れていたことは確かだ。