2013年11月14日木曜日

「日韓音楽ノート」姜 信子著 「日本の耳」小倉 朗著 文化比較論を超えて創造の「乱場」へ越境



「日韓音楽ノート」(姜 信子著 岩波新書1998年1月20日発行 )は著者の音楽的体験談ともいうべきものだ。小倉 朗著「日本の耳」(岩波新書 1977年5月20日)は、日本の耳と西欧の耳との違いを論じた文化比較論だ。この二冊がどういうわけか私の粗末な本棚に隣り合わせに並んでいた。この両者は音と歌の精神世界を問題にしている。小倉は、他の音の介在を許す日本の耳と他の音を排除する厳格な構成を要求したヨーロッパの音楽を対比してその違いを引き出す手法だが、姜の認識は鋭く亡命者や境界人としての在日韓国人三世の自分を見つめながら、一つのアイデンティティを求めず、どこかに属することもなくあるいは属せない人々を指して、そこに創造的「乱場」としての越境をする旅人を見いだしている。

姜はこれを「土地を失った農民たちは、生きる場所を求めて、都市へ、日本へ、満州へ、シベリアへと流れていく」と書いている。これが1923年の関東大震災直後におきた朝鮮人大虐殺の犠牲者たちで、「コメ難民」であったという村井紀氏著「南島イデオロギーの発生」(福武書店 1992年)を引用しながら、こうしてコメを求めて日本に流れてきた韓国人を「失郷民」だったといった。

姜は、「純粋さを至上価値とするイデオロギーが混沌たる現実を支配しようとする力がはたらくところでは、つねに起こることだ」(同書143頁)として、李美子の「わたしの歌は倭色ではありません。韓国の伝統歌謡です」との主張を婉曲に揶揄してみせた。文章は複雑だが、しかしこれは失郷民である姜の体験的な名言なのである。

「日韓音楽ノート」は、水俣の石牟礼道子さんとの出会いなどが書かれている第5章の「古賀メロディーと失郷民たちの歌」が一番面白く、本書の初めの章を飾るべきであったと思う。