2014年5月5日月曜日

フランスで社会道徳規律を守らないことは 「殺害を許す思想」に原因


【私のフランス】朝から天気が良い天気予報だと水曜日ごろから曇ってくるという。わたしは昨日ベルギーから帰ってきたばかりで少し疲れ気味。8時半頃に起きると近くのスーパーに出かけた。スーパーの小さいのでシュープレットとか言うやつだ。店内には既に何人かが買い物をしていた。その中でやや黒い皮膚でターバンを巻き鼻筋に青黒い入れ墨をした背の低い婦人がジュースのプラスチックのビンを手にして聞いてきた。ここになんと書いてあるのかオレンジなのかパンプルムースなのかと聞くのである。ビンには果物の絵の写真が入っている。それを見れば何が入っているかはおおよそ検討がつくはずなのだが聞いてきた。私は別に急いでいるわけではないし丁寧にその婦人の質問に答えてあげた。「それにバナナも入っているしパイナップルもパッションも入っているようです」・・・。「あなたはセネガルの方ですか」突然の私のほうからの質問に婦人は少し驚いたようだがそうだとうなずいて見せた。彼女はその後また別のビンをもってきて同様の質問をした。
いろいろ買ったが量が少ないので全部で16ユーロ(約2300円)弱。





大型のスーパーをフランスではイーペーマルシェとかグラン・シュルハースとかいうが、私は小さなのが好きだ。大きいのは物はあるが歩き回り目的の品物を探すのに苦労する。時々そういうところではあるべき所に品物が置かれてなく場所が変わっていて日常的な買い物に不便する。品不足なのか大事なおコメなども3週間も平気で無くなっている場合があり。大型のスーパーはある意味での迷路であり迷って楽しむのにはよいが余計な物ばかり買わされる結果になりがちだ。目的の転移という場合がほとんどである。

わたしは小さな店がすきなのは良くても悪くてもそこに人間の接触があるからだ。今日はアフリカの婦人と話をした。この旧フランスの植民地のセネガルの婦人はフランス語が読めなかったのを知った。セネガルは人権大臣をやったラマ・ヤダさんの出身国だ。彼女は2007年秋にサルコジ前大統領がフランスに公式招待をしたたリビアの独裁者カダフィを批判した珍しい人である。

そこから来た婦人はフランス語もどこか頼りなく感じられたがやさしそうな人であった。

今日は月曜日なのでこのスーパーには余り商品が置いてなかった。足らないものは午後に入るというのでまた来ることにした私はレジに並んだ。ところがそこに入り口から威勢よく大声をあげて「げんきかい、おばさん」とレジの婦人に話したかと思うと入り口からではなくレジの前に並ぶ私を押しのけて「自分は泥棒ではない」「お金は払うから」「車をそこに止めてあるので、駐車違反になってしまう」などと言いながら、どかどかと店にはいると商品を手に今度は私の買い物した品物が計算途中だというのに、私の前に何の一言の挨拶もなしに割り込んできた。レジで料金を払おうとした。私は、ケース係りに「それは私の買う品物ではないですよ」といった。彼女は「わかっている」と無愛想に答えた。私はこの男性の所作と言動に驚き、このケース係の異常さにも驚いた。供に常軌を逸していると見たからである。

「そのような割り込みは止めてください」私はそういった。それを受け入れたケース係は沈黙している。男性は「いいじゃないですか、ムシュー、私は急いでいるのだ」と。・・・次に私は「順番を守ることはフランスでは大事なことです。みんなが規律を守ることは必要です」といった。このとき正直言って少し腹がたってきたので、ここは砂漠の中の商店ではないのですが・・・とでも言おうとしたがこれは止めた。彼は私の肩に手をやって「いそいでいるから」と同じことを繰り返し、悪かったとは全然いわないで店を出て行った。

店のケース係は私がこんなことを言うとは思わなかったのか、この男性を受け入れた責任を感じたのか。普段と違って、私にやけに丁寧な言葉で「その青レモンは量り売りなので・・・私が量ってきましょうか」などと気を使って聞いてきた。

昨夜は食事の時にアラブ人の話がでた。彼らがバスや電車の乗り降りで降りる人を待たずに我先に乗ってくることなどが話題になりあまり肯定的な評価ではなかった。社会規律や道徳を無視していることが話題になっていた。

この店で、きっと私が黙っていなかったのはそのせいだろう。アラブ人の社会道徳とは何かそれが私の論理と異なっているということなのか。それともアラブ人たちはフランスの道徳倫理を身に着けていないことなのか。

社会倫理の小さな相違は各国にあったとしても、もっと深いところの倫理観が存在していないのではないかと考えるようになっている。それはフランス人でもアラブ人でもそうだが、私の感じるのは道徳とあらゆる宗教の根本に人を殺してはならないという不殺傷戒の欠落のことである。これはキリスト教やイスラム教では過去も現在も遵守されてなく守られてないということだ。昨夜書いたウクライナでの殺害事件などもこの例である。

4月に日本に行ってきたばかりの私は、非常に驚くこともこの点で多かった。しかし日本人もアラブ人のように無頓着な言動を高齢の紳士が吐いている場面にも出あった。どこどこの人種だから民族だからと一律には決め付けることはできないのは確かである。しかしながらどちらかというと毎日過ごしているフランスで、気になるのはこの道徳律の低さなのだ。これはテロにも繋がっているのであろうか、遠くはその基本である「人を殺す事を許す思想」に原因があるように思える。