2014年5月8日木曜日

集団的自衛権をやると集団的テロが起こる 安倍首相も山口代表もこの点を忘失

集団的自衛権をやると集団的テロが起こる。それは集団が日本次元のことであり、韓国や中国との間に防衛の意識を高め溝をほるからである。その他は言うまでも無いが、安倍首相でも山口代表でもこの一点を見失って亡失している。集団的自衛権の主張というのは、隣国から攻められる理由を自ら好んで準備しているようなもので、これで戦争が起こることになるのである。この戦争のことを集団的自衛権による集団的テロ防止の戦いなどと欧米にならって呼ぶようにならないことを望みたい。

アジア同胞との胸襟をひらいた対話への態度や行動がそこには全く無く空疎な言葉のみで、実際には乖離と分離を進める思考になっている。

日本の国民も与党政権の公明党その支持団体の創価学会員もこころしてこれに反対しなければならない。なぜならば戦争が起これば日本だけの平和が保たれるのを望むことは不可能だからである。戦争は両方とも犠牲者がでるのであり一方だけということはあり得ない。

集団的自衛権というのは両者に死者や負傷者がでても当然とした思考法なのだ。自国民の安全を目的としたようであっても、その先を少し見れば結果がどうなるのかは過去や現在の日本や世界各地の戦争が示しているとおりである。武力増強や自衛権を名目にして軍国主義が政府の野望としてそこに隠れていることを見抜かなければならないだろう。


先月末にキリスト教では二人の教皇が聖人になった。その一人は有名なジャン・ポール二世だ。この人は聖人になる前に、ヨーロッパが集団的に行なってきた軍事遠征の十字軍の歴史を悔い改めてこれを反省する言動を初めてした人である。キリスト教徒がイスラム教徒殺害を十字軍でしたことを認め謝罪したのである。

イスラム教徒に蹂躙され占拠されている聖地奪還の戦いである「聖戦」の戦争なのだからと解釈して意義づけて、キリスト教徒がイスラム教徒を殺してもよいとする「聖戦の十字軍遠征」が開始された。イスラム教徒を数多く殺害しただけでなくキリスト教徒側にも死者がでたのである。欧州世界の集団的自衛が英・仏・独の王侯貴族を巻き込んでイスラム世界との集団的戦争を作り出した。現代のテロもその延長線上にある。

一番不思議なことは、戦争をすれば死人が出ることでありそれが人の手による殺害であるということをキリスト教徒が知らなかったということである。ヒューマニズムを忘れてしまったというよりも、キリスト教には人間が殺害の執行人になるのだということを認めない思想があるようだ。

宗教者であっても人殺しを聖戦の名で行えば、それが許されてしまったのである。キリストの聖地奪還の戦いならば人殺しは許されると考えたからだ。その教唆の言説を薦めたのは教皇ウーバン二世で第二回目の十字軍を期にクレルモン・フェランでなされている。つまり人殺しや防衛も自衛権も正当だとした解釈の仕方が誤っていたのである。ここでの誤りとは、たやすく人を殺し殺されることを軽視し容認する思想のことだ。その思想には何かが欠けているのである。

その何かとは、頸を切られた蝦蟇の体に自民党の頭を据え付けてよしとする真言流のトリックを使う誤魔化しの嘘を使ってできている宗教や思想のことである。いつわりの宗教団体のことで、そこには頸が切れ堕ちていて人間を尊厳する法がすでに欠損してしまっている。

嘘、いつわりとはこの世のあらゆる宗教と道徳の根源であるはずの「人を絶対に殺害してはならない」という基本思想にそもそもすでに背いているということなのである。だからその思想を失ってしまっている創価学会や公明党の人たちは、集団的自衛権が人間を殺すことを許してしまう方向にある思想だということを明快に肯定できないでいて、立ち往生しているのである。