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2016年5月12日木曜日

岸信介と戸田城聖 あり得ない構図 安倍晋三と池田大作

憲法は人に合わせる人主法従ではなくて、法に人が従うのが本筋。この文春の言葉は親にして顚倒解義(てんどうげぎ)している言葉であり、安倍晋三首相の論議のアベコベ、サカダチは実は、親譲りのものなのかと今知った。「分かりやすい言い方」といっても、その内容が悪かったのなら、どんなに噛み砕いて見せても噛む対象が悪いので、噛んでいる人間の方が次第に毒素が回って頭が顚倒解義(てんどうげぎ)して来るのであろう。そこで、なぜこのような状態に今の首相説明がなっているのかを、母親ならずとも指摘しているのだから、考えるてみると、少々心当たりがないわけではないのである。


岸信介が戸田城聖の友達だとかで、昭和33年3月16日に岸信介夫人一行を迎うと言う文章があるのを思いだしたのです。広げて見てみると、この日、岸信介首相はその頃の創価学会が本山として信仰していた日蓮正宗総本山富士大石寺に、戸田城聖第二代創価学会会長から昭和33年3月16日に招待されていたのです。岸首相は急に当日になって行けなくなったとして、代わりに婦人(良子)と娘(洋子)と男の子(安倍晋三と考えられる)を送って来たという話しです。


それが6頁ほど書いてある本「戸田城聖先生講演集 下」(昭和36年10月12日初版発行 発行所 創価学会 373頁-378頁)があるのです。


その中で戸田は、自民党の岸首相の「武運長久を祈ろうと思った」「同書」(376頁)というのです。しかし、岸信介は約束を果たせず大石寺に来なかったので、これを祈ることはできなかったとしてとても残念がっていて、次のような戸田の文章が残っている。これが非常に面白い。「石橋湛山君が身延へお参りして、そうしてなんとかの衣をもらって、位を何級かもらって、中風になってしまって。それだけはさしたくないと、岸先生の名声のある限り、このお山で岸先生の武運長久を祈ろうとおもった。」「同書」(376頁)とあるのです。

ところが、岸信介首相本人はこれをすっぽかして来なかったのですね。ですから、その孫は中風ではないが、どこか母親から指摘されるほどまともでないということならば、それには石橋湛山のような誤ったお参りをどこかでやっていたのか?ともいえそうなのです。戸田城聖の論理で言えばですが。安倍晋三首相は一つには神道の靖国神社参詣や石橋氏が参拝した身延と同じような日蓮宗各派の本尊に等しい信仰の創価学会・公明党と手を握っていることが、原因なのではないかと思ひ至ったのです。ですから阿呆を受けた(中)風者の言という事が言えるのです。

昭和33年3月16日、何故に創価学会の第二代会長の戸田城聖が岸信介総理を富士大石寺に呼んだのかというと、戸田は三週間後の4月2日に慢性の糖尿病と肝臓病が悪化して急遽東京の日大病院に送られてそこで58歳で死ぬわけであるが、その前に「広宣流布の模擬試験」と後になってから呼ばれるようになった儀式を、一国の首相を迎えて「王仏冥合」の姿を実現してみたかったようです。3月16日、病気の悪化している戸田をこの儀式を実行するために青年部が作った車駕(しゃが)に載せて山内を練り歩いたのである。「三大秘法抄」にある「王仏冥合」完成の儀式を戸田はやってみたかったのでしょう。今で言えば「政教一致」実現のことです。化儀の広宣流布の儀式を岸信介総理の参列の中で実行できると考えていたのだと思える。そういう戸田城聖の魂胆がわかったからなのかどうかは推測はできないが、これはまずいと思ったのだろう。急遽、岸はこの儀式に参加しないことになった。


したがってこの6頁の文章を読むとわかるが、非常に戸田は残念がって幾度も幾度も岸が来なかった事を悔い返し無念がっているのが手に取るように伝わってくるのである。ここに書かれている中で、「お嬢さんとお坊ちゃんと奥様と、その他自分がこの人と頼む人々をですね、さしむけて本山へよこされたその誠意というものは、私は心からうれしく思う」(……)「きょうきてくれればなにも文句はなかったのだよ。」と話しているのである。


この戸田の死を前にしての最後の遺訓ともいうべきこの文章は無念で溢れている。創価学会・公明党というのは、この戸田城聖のかたきを討て、追跡の手を緩めるな、と密かに教わり伝えてきた団体だということを忘れないでほしい。安倍晋三と組している池田大作というのは、この戸田城聖の無念さを思えばあり得ない構図なのだ。それで阿呆を受けた中風の覚者が問題になってくるのであろう。


【参考記事】

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201605/CK2016050902000128.html









2014年6月25日水曜日

「集団的自衛権」は戦禍を万里の外より招き寄せるもの 創価学会・公明党は何故 安倍の好戦思想を支持するのか?

現在、日本は世界のどこの国とも戦争をしてない平和な国だが、これからは「集団的自衛権」によって世界中で戦争を行うことになるだけでなく、世界中から報復の戦禍が舞い戻ってくるだろう。それは日米安全保障条約などで協力関係のある国が武力の被害を受けたりした場合に日本も一緒になってその敵国やテロリズムと戦うことになるからである。安倍晋三の好戦思想に山口那津男らが一緒になって、戦争を万里の外より招きよせようと協議しているのはこのことなのである。

2014年5月8日木曜日

集団的自衛権をやると集団的テロが起こる 安倍首相も山口代表もこの点を忘失

集団的自衛権をやると集団的テロが起こる。それは集団が日本次元のことであり、韓国や中国との間に防衛の意識を高め溝をほるからである。その他は言うまでも無いが、安倍首相でも山口代表でもこの一点を見失って亡失している。集団的自衛権の主張というのは、隣国から攻められる理由を自ら好んで準備しているようなもので、これで戦争が起こることになるのである。この戦争のことを集団的自衛権による集団的テロ防止の戦いなどと欧米にならって呼ぶようにならないことを望みたい。

2014年4月12日土曜日

「福島シノン」とは広島・長崎のこと 仏原発基地絶対廃止の闘争に期待

トゥレーヌ(アンドル・エ・ロワール)地方の原発基地反対グループの活動家などが組織して12日(土)にシノンの原発基地廃止を要求して集会をする。県知事がシノンの町中での集会を禁止したために、ロワール川の川岸で集会することになった。シノン原子力発電所はフランスで最も古いものの一つで1964年にサービスが開始されている。3月18日には環境保護団体のグリーンピースの活動家がフッセンハイム(アルザス)原発基地に侵入することに成功している。

2014年1月30日木曜日

近代天皇制ファシズムと創価学会設立の謎・・・柳田国男の資料をもとに


近代天皇制ファシズムと創価学会設立の謎の相関性を述べることは非常に難しい。理由は簡単でそのころの資料が簡単には手に入らないことにある。また創価学会側の情報が多すぎて正確な事実がわからなくなっていることもあるかもしれない。・・・柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7  1974年3月20日)もそういった謎を解くための貴重な資料の一つになってきたようだ。

創価学会が近代の天皇制ファシズムと闘ってきたかどうかはわからない。天皇制ファシズムを灰燼させたとも思われない。創価学会が日本の軍国主義をどのようにして乗り切ったのかもまた敗北したのかも本当の事実がわからなくなっている。しかし今これを少しでも正しく知っていくことは必要だろう。つまり創価学会という宗教団体として近代の天皇ファシズムの軍国主義と闘ってきたのか?という疑問である。柳田によると牧口は新興宗教の教祖でもなく、創価学会という宗教性とは無関係であるといっている。

柳田国男著「故郷七十年」の中に「私の学問」という文章があり、そこに創価学会のことが書いてある。ここにはこれまで私が聞いてきたこととは大部異なる見解が幾つか書かれていて大変な驚きであった。

この本の中で、柳田国男が牧口を述べた箇所で、殺害され崇峻天皇の謎を解くことに関係していると思われる文章が少しだけ出ている。それは「蘇我物語」の箇所(313頁から314頁)である。

なぜ崇峻天皇が馬子の一派に殺害されたのかとうことはいろいろな見解があるだろうが、私は仏教伝来と関係していると見ている。つまり蘇我の馬子は聖徳太子と供にこの外来性の仏教を広め信仰しようとした。それに対し物部氏側が土着性の日本の神を主張しこれに反対した。天皇は両者の間で勅宣に判断が揺れる。物部氏を失い、天皇家に婚姻で介入し皇子を儲けて高挙りをなした蘇我氏は天皇の後見人となった。同属の争いの中で崇峻天皇殺害があったのだとみたい。

そこで偶然かもしれないが、柳田の指摘しているのは非常に面白く、創価学会はその前は創価教育学会であったという。そして創価学会は戸田がつくったといっている。「それを新興宗教の名にしたのは、戸田城聖の仕業か、そうでないまでもずっと後の考えから来ていると思う」(312頁)とまでいっている。つまり牧口とは創価学会は関係ないというのである。これも創価学会ではあまり聞かれない面白い貴重な見解であろう。一般に創価学会では、創価学会は牧口常三郎と戸田城聖との二人でつくったといわれているからだ。

そうすると牧口常三郎の創価教育学会はどうなってしまったのかという疑問が残る。全部を創価学会が吸収してしまったのだろうか?吸収というが、牧口常三郎の創価教育学会と戸田の創価学会とではどこが異なるのだろうか?明らかに柳田は学問と宗教を彼らの相違点において見ている事がわかる。だから柳田は、「牧口君自身もその人に非常に望みを託していたようだ」(312頁)といっているわけだ。この「その人」とは、「独習の社会学者で田辺寿利」(311頁)のことである。

したがって、牧口と戸田との関係は宗教を仲立ちにした関係では無かったと指摘されて書かれている。北海道という同郷人の関係で、「宗教に入るより前からの弟子であった」(312頁)というのだ。

柳田国男のこの本「故郷七十年」の「私の学問」の箇所に収められた文章の中に、牧口常三郎が三谷という者から法華の信仰に引き入れらたとある。そうすると牧口常三郎とうのは日蓮正宗から信仰をはじめた者ではないということになる。そのことを明快に指摘しているのがこの本の凄い主張ともなっている。いまその箇所を見てみると、牧口は、「本門寺というのに参り出した」(312頁8行目)とある。

柳田によると、牧口は三谷に引き入れられて本門寺の信仰をはじめたということになっている。これは創価学会のメンバーはあまり聞き知らないことだろう。その本門寺というのは富士山麓の日蓮宗の本門寺のことで、同じく富士山麓にある日蓮正宗富士大石寺のことではないと柳田は何度も書いている。

そしてその本門寺には真字本の「蘇我物語」があってこれは一般に流布している寛永12年出版のものと比べても非常に異なっていて、良く理解できるものでよいものだと評価している。大石寺の「蘇我物語」はこの本門寺の漢文だけで書かれた真字本を元にした訳文だが非常に解り易く訳されていて良いものだと柳田はいっている。つまり、読者にたいして柳田はこの二つの寺は同じではないことを強調して書いているのである。その本門寺の方の信仰を牧口が最初にはじめたものであると書いている。

近代天皇制ファシズムと創価学会設立の謎の相関性を述べることは非常に難しいと前に書いた。少しだけいうと、この問題は頸が切られるという点で両者は関連しているということだ。創価教育学会は教育を切り落として創価学会となった。これらは同じではなく異なるのである。その違いは既に少しく見てきたように、頭と体が続いていたのが、頸を切って頭部を別のものに挿げ替えられたために、頭と体が分裂するわけだ。

天皇制の問題でも、拝むべき対象でない天皇が現人神として信仰の対象に挿げ替えられている。仏教を廃してその代わりに天照大神の子孫として天皇が奉られる。その時に頭と体が切れるために政治がうまくいかず本人たちも死に絶えるということになる。もちろん仏教の機能神の役目であった天照大神や八幡大菩薩が拝む信仰の対象であるわけがない。それを拝んだために返って災いを増大させることになる。

本来は人間に豊潤をもたらす働きの天照大神や八幡大菩薩が逆に力が狂い天災や災害を起させることになる。善神の力も絶えてそこに悪鬼が侵入して人間の争いとしての戦争・殺戮が起こることになる。奉り方を逆さまにして誤った神の祭り方をしているからだ。仏を敬わないで神を立てそれを中心にして拝んでいるからだ。結果は逆さまな倒立した世界になる。これは日蓮大聖人の書かれた「立正安国論」の思想である。


以下に写真掲載し資料とした。8頁に渡る文章は、創価学会の草創期に関する柳田の論考が書かれてある。



柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7   1974年3月20日)307頁





柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7   1974年3月20日)308頁



柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7   1974年3月20日)309頁



柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 71974年3月20日)310頁


柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7  1974年3月20日)311頁


柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7  1974年3月20日)312頁
柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7  1974年3月20日)313頁


柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7   1974年3月20日314頁



柳田はこの文章を次のように書き出している。「明治四十三年の秋ごろ、新渡戸稲造博士を中心に郷土会を創立したが、その定例会員は石黒忠篤、木村修三、正木助次郎、小野武夫、小田内通敏、牧口常三郎などという人たちであった」(同書307頁)

(…)

「郷土会」のもとになったのが、「郷土研究会」という集まりで、明治四十年か四十一年ごろ、私の家で始めたものである。そこへ新渡戸稲造博士が西欧から帰って来られたので、後には新渡戸先生のお宅に伺うようになったが、中心はやはり「郷土研究会」からの連中であった。話題のもとは開園各自の旅行の報告で、一番熱心だったのが早稲田大学の小田内通敏君であった。小田内君を私に紹介した中桐確太郎君は、やはり早稲田の人で、国木田独歩の友人ときいていたが、ことによるとこれも牧口君が連れてきたのかもしれない。小田内君の関係で他にも一人二人会員になった人があったが、とにかくそういう人たちが全部新渡戸先生の方へ移ったのである」(同書308頁)

(…)

この柳田国男著「故郷七十年」(朝日選書 7   1974年3月20日)の中で、柳田は「郷土研究会」が、「郷土会」になった。「創価教育学会」が「創価学会」になったという辺りの事情を書いている。

柳田は創価学会の創立者が牧口常三郎であるという世間の通説を挙げながらも、牧口が新興宗教の教祖ではなくて宗教者ではなかった。戸田城聖あたりから創価学会の中味が宗教団体になってきたことを明かしている興味深い文章だ。






2013年11月11日月曜日

池田大作が表敬訪問したルーマニアの独裁者チャウシェスクとその妻エレナの遺体を発掘

「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版 2―3頁)
ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクとその妻エレナの遺体の発掘が21日行われた。二人は1989年に処刑されたが政府は墓荒らしを恐れてブカレストの中央から少し西にあるゲンシアの墓地にニセの名前で埋葬していた。亡くなったニコラエ・チャウシェスクの娘ゾイアの夫のミルセア・オプレアン氏は、射殺されたチャウシェスクを見たとして、「マントーやズボンの穴を思い出した」と言っている。三人の子供のうちの生き残った一人バレンタン・チャウシェスク氏もオプレアン氏と同じくその埋葬に疑問をもっていて発掘を望んでいた。DNA判定結果は数ヶ月後になる。(本文の初出 / 公開日時: 2010年7月22日 @ 23:58 )

チャウシェスクのルーマニア独裁は1965年から1989年まで続き、12月22日にヘリコプターで逃走、同日逮捕され数時間後にブカレストのタルゴビスト兵舎で秘密裏に裁判に掛けられて、その場で射殺された。ヨーロッパで最も知られる独裁者の墓の訪問客はふえ続けている。ルーマニアの映画監督アンドレ・ウジカ氏により資料に基づくニコラエ・チャウシェスクの生涯を描く長編映画がカンヌ映画祭で上演された。1989年のニコラエ・チャウシェスク転落の周辺は歴史の暗い影に覆われた部分であるといわれている。二人は1989年に処刑されたが政府は墓荒らしを恐れてブカレストの中央から少し西にあるゲンシアの墓地にニセの名前で埋葬していた。

日本では創価学会の池田大作名誉会長が1983年6月4日から9日までルーマニアを訪問。随行した新聞記者の水上靖彦氏の報道では「チャウシェスク大統領と、人類平和のために約一時間にわたって核軍縮、世界の各地に“非核ゾーンの設置”など、平和への国際協力の必要性について会談」とある。

「この模様は、国営ルーマニア・テレビ放送でニュースのトップで報じられた。」と創価学会系の月間誌「第三文明」(1983年9月号106頁)で書いている。ニコラエ・チャウシェスクと会見する池田大作氏の写真は同誌の107頁にも掲載されている。しかしなんといっても創価学会インターナショナルの広報誌である「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)の2頁から3頁を使っての両者の6月8日の会談を大きな写真に収めたものが見逃せない。

「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)

983年6月8日午前中に池田大作インターナショナル創価学会(SGI)会長はルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領を官邸に表敬訪問し60分に渡り会談したと、「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)にはある。

「第三文明」(1983年9月号)
この両者の会談の中で特に、軍縮と原爆兵器の廃絶及び平和思想を語りあった。と「SGIグラフ」誌では報道されている。現代の最も重要な課題は、軍事費削減や原子力兵器削減と同様に、世界の政治的緊張の最大の原因になっている武器の拡散化を止めることである。新たな原子力兵器の開発を止めさせ、既存の原子力兵器を廃止させるためには、世界平和のための国際協力を呼びかけなければならないと池田氏は話している。

その後、ルーマニアの大統領は池田氏の質問に答えて、牢獄やテロリズム、圧制、戦争などのテーマで答えた。また、同誌によると、チャウシェスクは常にルーマニア民衆の為に、独立の為に、よい社会を建設する為に、そして国際友好の為に働いてきたと評価している。この評価は間違いなく創価学会のそして池田のチャウシェスクに対する見解であって、ルーマニアの独裁者としてのニコラエ・チャウシェスクの正体が見抜けなかったわけである。

創価学会・公明党は、原子力のアトムの正体が何であるのかを見抜けなかったから、2011年3月11日の福島の原発基地事故が起こったのである。世界平和のための国際協力では池田のいう武器の拡散化は解決しないのである。それどころか池田が核の平和利用は軍事利用とは違うと判断したことで公明党は自民党の核推進政策を支持してしまった。これが福島の事故の引き金であった。本来は創価学会はこれに絶対阻止の反対を死守しなければならなかったのである。

それを創価学会は忘れてしまった。世界の指導者からの名声やメダルを求めて世界を走り回った池田は、本来の信仰を失って法然先生のような姿になってしまったのである。これは「立正安国論」の主要なテーマでもある。池田は法然の弟子の思想である世界の静謐を先ず収める世界平和を唱えてこれを実現しその後に宗教の正邪を明らめようとしたわけだ。「立正安国論」での法然のような考え方に、考えが変わってしまっていたのである。

創価学会や公明党もそこを抑えないと、福島の原因が「立正安国論」の逆さ読みをした法然読みに足をすくわれたことにあったことははわからない。ここに日本の不幸の原因があったことは理解できないのである。

「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版)は、日本の創価学会の指導者池田大作がインターナショナル創価学会(SGI)会長として独裁者チャウシェスクと会談する貴重な資料である。当時ヨーロッパではルーマニアのニコラエ・チャウシェスクは独裁者として多くの民衆を殺害していることで有名であった。その両者が写っている「SGI国際平和グラフ」(1983年フランス語版2―3頁)の写真をあるフランス人学生に見せた私は顰蹙(ひんしゅく)をかうことになったのである。

日本ではチャウシェスクのことは良く知られてなかったが、チャウシェスクが自国の民衆を殺害し人体実験までしていた独裁者であることはヨーロッパの一般人の常識であったのである。この独裁者の大歓迎に創価学会は池田氏をはじめ組織をあげて喜んでいた。

今後、独裁者チャウシェスクの大量虐殺の生涯をより多くの方が知れるような歴史の発掘がなされてゆくことを願いたい。その時に池田大作氏の独裁者表敬訪問も正しく歴史の鏡に照らしだされて裁断されるだろう。

2013年11月7日木曜日

(二)何故、靖国神社や阿弥陀仏を信仰の対象にして拝んではいけないのか?

▼どんな宗教が出てきたのか?

人間の内面にある煩悩を消滅させることで、精神の平静を実現するためにはその煩悩を切り取って捨てれば問題は解消するとして一切の煩悩を絶つという修行を求める誤った人間解釈の宗教がでてくる。そこでは悟りの境地とはこの煩悩を断ち切ることを指すようになるわけだ。しかし本当の仏教によるとこの煩悩こそが活力になるとして積極的にその存在を認めるのである。煩悩の暗闇を断ち切ることではなくて、むしろこれを障碍(しょうげ)としてをまず正面から認め、それを回避するのではなくて、その事実を因果の法理から新たに光をあてることだ。例えばそれを薪の山として捉える。

これを焼くことで自らの闇を照らす慧火(えか)になるとしている。障碍の薪の転換はこの生命の因果によって現世と来世の両方において、またひょっとして過去をも変換することが保証されることになる。それでは薪がわれわれに存在することはわかったが、それを慧火に転じる方法はどうすることなのかという問題がのこるが、これは後に話すことになる。

本物の仏教では、人生の障害や困難、病気、欲望、悩みや煩悩というものを捨象したり遠ざけたり滅したりする必要がないということだ。悪も悪で終わらないし、善も善で永遠に常住であるわけではない。善悪が互いに相即して離れることがない思想であるからこそ、そこに転換の可能性がある。悪が善になる可能性とはその悪の中に善があり、善の中に悪が存在してなければならないからだ。



▼創価学会や念仏阿弥陀や神道は因果律を理解した宗教なのか?

ところがキリスト教や誤った認識の仏教などでもそうだが、天国と地獄とが永遠に乖離している二元論の宗教では悪の転換は不可能なのだ。そこでは、悪は別世界に追いやるか、隠すか、創価学会の戸田城聖氏が言ったように、サタンは死刑にせよということになってくる。そこには生命の因果律を無視した考え方があるとしか考えられない。これは仏教をキリスト教的に思考して、原爆を使用した者はサタンとして捉え、すべて例外無しに死刑にせよとの宣言を創価学会の青年部員へ遺訓として残したといわれている。

そこが仏教以外のキリスト教や新道もそうだが因果律を隠す阿弥陀如来の念仏信仰などと、本来の正しい仏教との決定的に異なるところなのだ。善悪の二元論の宗教を推し進めると、一方が一方を抹殺する聖戦の戦いしかない。そういう悲劇的な誤った世界認識を是正する仏教の正しい変革理論が必要である。


▼神国日本の宗教と社会

具体的には日本の天皇と将軍という社会構造での関係が、宗教世界の神道と仏教との規定関係にどう連動して関係していたのかという問題である。つまり宗教と社会・政治との関係の問題でもあるわけだ。具体的には、つまり八幡大菩薩という神が百代の天皇を守護するとの宣託があったのに、その誓いもむなしく玉体安穏の祈りも適わずに、何故にいとも簡単に安徳、壱岐、阿波、佐渡の4代の天皇は殺されたり流罪されたりして海中の藻屑と消えてしまったのかという疑問を日蓮大聖人という方が鎌倉時代に立てられている。

最近のことで言えば、神国日本の神が祭られているはずの神社などに祈ればその恩恵に浴せるはずなのに、それがそうではなくて逆に、靖国などに詣でた何人かの首相が簡単にやめなければならなくなる。そこに何か因果関係みたいなものがあるのではないかということなのだ。これが一つあり、他方には神である靖国を拝まなくても創価学会などの仏教政党を祈る場合にも首相が同様に、つまり国の頸が容易に切れるのは何故なのかという問題へと展開することになる。(つづく)




戸田城聖の無量義経の悟りとは「其の身」の文字を「仏」だと変えた経典改竄

経典改竄は邪儀である。創価学会第二代会長の戸田城聖は「戸田城聖先生 質問集」(昭和38年)の中で、創価学会の生命論の出どころとなった「無量義経徳行品第一」の経典を引用している。その経典の箇所には、「仏」という文字は無いのにもかかわらず、戸田は勝手に「無量義経」の経典に「仏」の文字が有るかのように誤魔化してこれを解釈・添加して、「仏とは生命なり」という創価学会の生命論の基礎を立てた。その誤れる創価学会の生命論の基礎とは、「無量義経」の経典にはない「仏」の文字を添加して書き込み、その上で戸田の獄中の悟りとは「法華経」からの悟りだと二重に偽って誤魔化して作ったものである。

「四十余年未顕真実」の文は無量義経に 法華経の開経の意味を誤る戸田城聖

したがって、戸田城聖の獄中での「無量義経」からの悟りというのは、「法華経」の悟りでは無かったのだということである。

創価学会が仏法違背を続けていると、日蓮大聖人が「立正安国論」で指摘された三災七難、地震や津波のような天変地夭(てんぺんちよう)が起こり、飢饉疫厲(ききんえきれい)がやってくるのではと心配するのである。

嘘・誤魔化しが生命論の原点で良いわけがない

創価学会の戸田城聖の弟子たちは、無量義経を読んで「仏の生命を悟った」という師の『獄中の悟り』を正当化するために、無量義経の誤れる戸田の解釈を継承する。戸田の死後の出版物では無量義経の経典の文字は改竄されている。それは師の獄中の悟りの誤りを隠すだけでなく正当化することになっている。一方、戸田の法華経解釈の誤まりを戸田自身が悔い返した筆は、弟子たちはそれを人目にふれないように隠した。創価学会は、戸田が手にして読み、彼独自の悟りを得たという無量義経徳行品第一の経典にある、「其の身」という文字を勝ってに削り捨てて、その代わりにその経文には無い筈の「仏」という文字を入れた。摩り替えの誤魔化しの経典解釈から戸田の獄中の生命の悟りができている。創価学会はこれを戸田の法華経による悟りだとして生命論の邪儀をつくった。


「戸田城聖先生 質問会集」(昭和38年 創価学会)発行に、「無量義経」に無い筈の、「仏とは」の文字が挿入


この無量義経徳行品第一の経典にある「其の身は」の箇所を「仏とは」にすり替えている。この創価学会のすり替えは「戸田城聖先生 質問会集」(昭和38年年8月2日 創価学会 発行、8頁3行目)に出ている。

 
以下の掲載した写真に出ているように、「仏とは何であろうか、いるのか、いないのか」と考え、仏教書を読んだがわからず、無量義経につきあたりました。それには「仏とは方に非ず円に非ず短長に非ず、」(無量義経徳行品第一)とあり真剣に悩み考えたすえ「仏とは生命なり」と考えが開けました。このようにして経典には無いはずの文字、つまり、「仏とは方に非ず円に非ず短長に非ず、」(無量義経徳行品第一)と経典にあるとした。本経に「其の身」とあるのを削って、創価学会は「仏」に摩り替えて出版した。






「無量義経徳行品第一」の経典では、どうなっているのか

本当はこの箇所の「無量義経徳行品第一」の経典では以下のようになっていて、創価学会が改竄し添加した「仏」の文字はないのである。経典では、「其の身は」となっている。これを創価学会は削り隠し「仏」の文字に摩り替えたのである。




『新編妙法蓮華経并開結』(平成10年4月28日 大石寺発行 )の「無量義経徳行品第一」のその箇所には、「其身非有亦非無・・・・・・」(同7頁の最後の行~8頁)と正しく「其の身は」と書かれている。 同頁の下段にある現代書き下し文でも、「其の身は有に非ず亦無に非ず・・・・・・」と正しく「其の身は」となっている。創価学会が書き換えたような「仏とは」とこの箇所はなっていはいないのである。




「無量義経徳行品第一」 戸田城聖氏が読んで悟ったという34の非文字の箇所とは、上写真掲載の7ページの最後の行から始まる「其身非有亦非無」と次の8ページに続く箇所である。


創価学会のこの経典改竄は「戸田城聖全集」(池田大作編集、和光社発行昭和40年12月10日)でも、同様に誤りを正さずに誤魔化して、無量義経徳行品第一に無い筈の「仏とは」の文字を加えたままだ。


戸田城聖が『獄中の悟り』を得たという、獄中で読んだ「無量義経徳行品第一」で出てくる三十四の非文字の箇所には、本当は「仏」という文字は存在しないのであった。
ここで明らかなように、創価学会によって経典の書き変えが意図されていることだ。さらに重要なことは、この戸田の誤った解釈を元にして創価哲学の原点となる「生命論」ができているということである。つまり、創価学会の「生命論」はこの戸田城聖の獄中の経典拝読にあったからだ。戸田が読んだのは「無量義経」であった。『真剣に悩み考えたすえ「仏とは生命なり」と考えが開けました』とある。「法華経」ではなかったのである。


日蓮大聖人の御書には、師の誤りを隠す弟子がいると


日蓮大聖人は、諸御書でこの仏法の正義の味を誤魔化し隠すことについて、次のように言われている。各自「御書」の本文を参照してほしい。
「弘法・慈覚等はあさましき事どもはあれども弟子ども隠せしかば」「末の代はいよいよ・あをぐなり、」(種種御振舞御書)
「弟子ども隠せしかば」(種種御振舞御書)
「謗法の失を恣(ほしい)ままに覆(おお)いかくすなり」(第二捨父逃逝の事 御義上)
「深くその根源を隠し て候へば」(本尊問答抄)
「教を匿(かく)さざれ」(聖愚問答抄)
「仏法のあぢわいをたがうる人は」(妙一女御返事)
「私の言をそうるゆ へに」(衆生心身御書)
「私の筆をそへ仏説のよしを称す。」(破良寛等御書)


弟子が師の誤りを隠すと日蓮大聖人が指摘されているが、このような経典改竄の罪は重いに違いない。

今の創価学会員は仏法を学んでいるようではあるが、二重三重に隠されて盲目にされていることを知らない。戸田城聖の『獄中の悟り』こそは戸田が拝した「無量義経徳行品第一」からの悟りであった。創価学会の原点となった戸田の『獄中での悟り』そのものが、仏法の経典改竄を基礎にして作られたもので、そこにすでに創価学会の今日の限界があったということだ。



創価学会の経典改竄の理由は?

 何故このような経典の改竄を創価学会はしなければならなかったのかということだが、一つにはそれは創価学会の戸田城聖が「無量義経」を牢獄で読んで、「仏の生命を悟った」という『獄中の悟り』を正当化するためであったと考えられる。 戸田の読んで悟った悟りだが、その依教(えきょう)となった「無量義経徳行品第一」の経文上に、「仏」という文字が無かったので、どうしてもそこにこの文字が欲しくて書き換えをしたのだと考えられる。

経典改竄をしながら仏典を読み解説する創価学会とは何なのか?という疑問がそこから起るだろう。

同様な摩り替えの邪儀は、以後の創価学会の出版物にもある。後になって出版された「戸田城聖全集」(池田大作編集、和光社発行 昭和40年12月10日) 9頁の後ろから3行目でも、同様の誤りを正さないでいる。

「戸田城聖全集」(池田大作編集、和光社発行 昭和40年12月10日。9頁の後ろから3行目)

 池田大作編集、和光社発行(昭和40年12月10日)の戸田城聖全集においてもこの摩り替えのトリックは継承され続けている。
これが有名な創価学会の生命論の原点である戸田城聖の獄中の悟りの経典的な出どころであったが、それは誤魔化しの嘘から出来上がったものであったということを理解すべきであろう。
このような創価学会の所業をさして、日蓮大聖人は、「仏法のあぢわいをたがうる人は」(妙一女御返事)といわれ、「私の言をそうるゆ へに」(衆生心身御書)と言われているのだろう。







2013年11月6日水曜日

創価学会は法華経最第一を破る戸田城聖の『獄中の悟り』を継承

戸田城聖の『獄中の悟り』は丹波哲郎の主演する「映画人間革命」として記憶されている方も多いかもしれない。『獄中の悟り』こそは後の創価学会の生命論の原点となった重要な出来事であった。「仏とは生命なのだ」とは戸田城聖が無量義経を監獄で読む中で悟ったものだ。その戸田の無量義経での悟りを自己流に位置ずけ直したのである。法華経と無量義経の二つの経典の関係は一つの論文にある序論と本論との関係である。一巻の前後であって、法華経と無量義経との関係もそれと同じである。まるで手品の如き手法で異なる二経を並べて同じて、斉等(さいとう)にしてみせた。これは法華経最第一を否定する法華誹謗の邪儀を立てていることになる。戸田城聖は謗法の念仏法然邪説を利用したことになっている

その誤魔化しの手品の仕掛けの種が、「人間革命」(精文館書店 昭和32(1957年)年7月3日発行)の中に書かれている。法華経最第一の金口の経文に背き法華経と無量義経とを同等ならしめて創価学会の誤りの源流となったわけだ。

ここでいう「人間革命」という著作は戸田城聖の単行本である。戸田の死後になって、創価学会の池田大作も同名の「人間革命」という本を何巻も書いている。しかし本の名前は同じでも書き手が別なのである。

以下の写真は、創価学会二代会長の戸田城聖がペンネームで書いた「妙悟空著 人間革命」(精文館書店 昭和32年7月3日発行)

「妙悟空著 人間革命」(精文館書店)の発行は昭和32(1957年)年7月3日発行である。「妙悟空」というのは戸田城聖のペンネームだ。その奥付には「創価学会会長 戸田城聖」という役職名の署名入りで4頁にわたって、「人間革命の真髄(あとがき)」という文章が掲載されている。しかもそれが書かれたのは昭和32(1957年)年6月10日と日付が入っている。つまり戸田城聖の逝去は昭和33年(1958年4月2日)だから、ちょうど亡くなる1年前に書かれた文章であり、またそれは、「妙悟空著 人間革命」の発行される1ヶ月前に書かれたものであった。


戸田城聖の著作である「人間革命」精文館書店(昭和32年7月3日発行)の446-447頁。446頁の最後の行には「法華経を白文で読むことは出来ても、釈尊の本懐はどんなものなのやら、彼に汲み取ることが出来ない。」とある。法華経は理解できなかったのである。

同447頁9行目(上掲載写真の左側の頁)には、「巌さんは法華経の開経である無量義経を前にして、眼鏡の底を鋭く光らしていた。

開経とは、本経を説かれる前の予備、下準備に説かれる序経のことで、論文に序論、本論、結論とある・・・・・その序論に当るのだ。」

戸田はここで、法華経と無量義経とを同じくしてみせる独自の解釈の準備に取り掛かったことがわかる。

並べて同じることが、「法華最第一」を否定することになる

この戸田の考えには法華経が超八であり、諸経と並べ同ずることが法華誹謗になることなどは理解されていない。勿論のこと戸田は法華経最第一という意味も理解していなかったといえる。ましてやその最第一の経を無量義経を師として読む諸宗の人師の仏教の学び方であることなどには考えも及ばなかった。「妙蜜上人御消息」(全集1237 新編964)などは読んでなかったようだ。

法華経と無量義経を腹合わせにして並べてみせ、両者を同じものだと立て換えた。無量義経を読んだ戸田が法華経を読んで悟ったとしたのが戸田の『獄中の悟り』であった。これが創価学会の生命論の誤まった主張である。

法華経を、他の経典と並べこれ等を同じてみせる戸田城聖の手品の考案は、法華経を下したことになるだろう。創価学会は、法華誹謗の原点を創ったといえる。

無量義経の成仏では天台宗にも諸宗の教えにも創価学会の生命論は劣るのである。それどころか法華経最第一を否定する邪儀を立てている戸田城聖の謗法は法然の念仏に近い邪説となっている。

無量義経とは、「已今当の三説」の中の今経のこと、法華経とは

「三説超過」の経のこと

創価学会の教学部員も仰ぐ日蓮大聖人の御書である『諸経と法華経と難易の事』には、この法華経と無量義経の関係を明確に述べられた箇所があるので以下に引用すると、「日本国には伝教大師読んで云はく『已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり、随他意の故に。この法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に』等云云。」(平成新編1468頁、御書全集991頁)

「随他意とは、真言宗・華厳宗等は随他意・易信易解なり。仏、九界の衆生の意楽(いぎょう)に随って説く所の経々を随他意という。譬へば賢父が愚子に随ふが如し。」(平成新編1468頁、御書全集991頁)

随他意の経典というのは衆生の心に従って衆生の心を説いた教えであるために、仏の心は説いてないのである。したがって、これをいくら読んでも、逆立ちして説いても、戸田城聖が悟ったような「仏とは生命なり」とは出てこないのである。諸経には説かれてはないのだから。つまり、無量義経による戸田城聖の『獄中の悟り』とは誤魔化しという事である。

法華経というのは、釈迦が一生涯に説いた無数の経典である已経・今経・当経の三説に超過している経典であり、また八経に超過する教えなので超八ともいわれる。つまり已とは、(すでに説いた華厳・阿含・方等・般若の四時の経ことである。今とは、今説いて無量義経のことである。 当とはこれから説こうとする涅槃経のことである。法華経はこれら已・今・当の三説の経典には入らない。法華経はそれらに超過した高い教えであるということである。

戸田の理解に反して無量義経、已今当の三説の経典に入るのである。これを戸田城聖は知らなかったのか、無量義経は法華経と同等なのだと誤魔化したのであった。已今当の三説は衆生の欲する心に従って説かれた。つまり随他意の経典なのである。仏の心をそのまま説いた教えである随自意の経典である法華経と並べて同等にしてはならない。一つの本の中の序論と本論と結論なのでこれらは同じことなのだと戸田が作った邪義を構えてはならない。法華経最第一を否定することになるからだ。つまり天に二つの太陽を持たないということである。創価学会は二王を男となす教えを許したが故に日本が危うくなる原因を作ったともいえるのである。

創価学会第二代会長の戸田城聖のように無量義経を悟ってみても、その悟りは法華経の悟りではなくて法華経を同じて下しているが故に、衆生の六道輪廻を所詮は出ることはできない堕地獄の根源の教えなのである。

「法華最第一」を否定して 創価学会の戸田や池田は法然の難

行道を立てた

法華経最第一を否定する法然のような誤れる宗教家たちは、法華経は素晴らしいのだが衆生が理解するのは難しいという点を強調してくる。戸田城聖自身の「人間革命」の中では、法華経は「難しい」として読むのを止めている場面がある。
戸田城聖の著作である「人間革命」精文館書店(昭和32年7月3日発行)の446-447頁。446頁の最後の行には、「法華経を白文で読むことは出来ても、釈尊の本懐はどんなものなのやら、彼に汲み取ることが出来ない。」とある。法華経を難しいと捉えているところが共通点だ。

その難解な法華経を白文で読むのを止めてその代わりに戸田のいう論文の序論である衆生の心を説いた随他意の教え(衆生の心に従って衆生の心を説いたものなので、受け入れやすくわかり易いという意味)である『無量義経』を読み初めたのであった。この無量義経で戸田は 「仏とは生命なのだ」と悟ったわけである。後になって戸田はこの悟りは「法華経の悟り」と同じだと戸田の「人間革命」で誤魔化しのトリックを立てたのであった。

法然が立てた難行・易行とは、法華経は素晴らしいが、衆生が理解するのは難しいと立てたわけだ。これは法華経や日蓮大聖人の御書は難しいが、これを深く正しく理解しているのは池田大作名誉会長であり、会長のスピーチ集は難しい仏法をやさしく咀嚼して世間の卑近な例も取り上げてわかり易く説明・解釈している。その会長のスピーチ集をまず読んで理解してから、その後で難しい法華経や御書を読めば簡単にわかるとしたのと非常に良く似ているのだ。多くの創価学会員はどちらかというとこの支度方便(したくほうべん)の準備であるスピーチ集を師にしてこれを「最第一」にして勉強してはいないだろうか。

創価学会のこの論議は、確かに直接的には法華経や日蓮大聖人の御書を批判してなどないわけだが、よく考えてみるとこれは大変な誹謗にもなっている。法華経は素晴らしいが、一般の人には理解するのは難しいと褒(ほめ)上げて、結局は並べ同じて遠ざけてしまっているわけだ。

念仏法然先生の捨閉閣抛というのも同じ手口である。創価学会では、法華経は高度な教えであるが難しいのでなかなか理解できないとして、戸田城聖が牢獄でしたように法華経を読むのを止めて無量義経から入ると良くわかるのだとしたように、創価学会の第二代会長の池田先生のスピーチ集でよく理解してから難しい日蓮大聖人の誤書を読めば良くわかるとしたことは、「入り角」の違いでしかなくいずれも登る山は同じだというこれまた誤魔化しの論法なのである。それで創価学会の正当化の為に、『獄中の悟り』や『スピーチ集』がでてきたのであると考える。


「立正安国論」の転倒解義 法然先生のトリック呪術が池田創価学会に


池田創価学会が日蓮大聖人の御書を拝しながらも人々を迷わす法然先生のトリック呪術を使うというのはどういうことなのだろうかと考えた。「立正安国論」を拝しても日蓮大聖人の立場(主人)の見解でなくて、念仏法然(客人)の立場」で「立正安国論」を読んでいるのはどうしてかと疑問をもった。これが創価の世界平和運動の理論的根拠となっていて「立正安国論」を学んでいながら、逆に念仏法然先生の主張を学ぶことになってしまっていた。この点の読みにおいて創価学会が主客を転倒(てんどう)させて誤まった法然流の解釈を提出しているのは、有名な池田大作著「立正安国論講義」(日蓮大聖人御書十大部講義 第一巻 立正安国論 昭和41(1966年)年7月3日 創価学会発行)に於いてそれが指摘できる。創価学会は、「立正安国論」での客人の立場で、つまり法然の思想を継承して、仏法を転倒(さかだち)させて理解してしまったと考える。




「立正安国論」が論議される場合にしばしばいわれるのは、この書が日蓮大聖人の平和実現の理論書であるということである。この中で、主人というのは日蓮大聖人の立場であり、客人の主張とは当時の社会に多大な影響を与えた念仏法然の立場のことである。両者に於ける「立正」と「安国」の原理的及び方法論的対立が問答形式で論議されているわけだ。

池田のこの「講義」の箇所の解釈を引用すると、『創価学会の今日の発展、隆昌が恩師戸田城聖会長の獄中での不思議な体験、人間革命、広宣流布への情熱によって決定づけられたことを思いあわすべきである。「法は人に因って貴し」日蓮大聖人の仏法の興隆は、戸田前会長によって決定づけられ、そして今、五百数十万世帯の創価学会員の燃ゆるがごとき信心、広布への決意、幸福生活の実証によって、全世界に、未来永劫に流布していくべき源泉が決定づけられているのである。』(前掲書761頁)。

創価学会というのはこのように法を従にし、人を主にした「人主法従」(にんしゅほうじゅう)の視点から「立正安国論」を読み解釈して独自の仏法を立てた宗教団体といえるのである。これは経典解釈でも同じことで人師の仏教解釈からでた法然の念仏とはまさにそういう人の言葉を主にして経典を従にして読む「私はこう思う」式の私言の法門なのである。

池田が「日蓮大聖人の仏法の興隆は、戸田前会長によって決定づけられ」(前掲書761頁)という時、これは誤れる戸田城聖の『獄中の悟り』という私言によって決定付けられたということでもある。

このことを日蓮大聖人は破折されていたのである。学会員からは会長先生と仰がれた戸田城聖は『獄中の悟り』なるものを夢の中から作り上げたので、これはいわゆる夢中の法門なのである。池田大作の『わたしはこう思う、ああ思う』式のスピーチ提言集というのも法然の使ったやり口と似ているのである。

それは法華経は素晴らしいが難しくて凡人では理解しがたいと立てて、次には、それを本当に正しく理解できるのは法然先生しかいないのだとして、この先生が世間の卑近な例も取り混ぜてやさしくわかり易く噛み砕いて解釈したスピーチ集によって先ず理解すべきで、その次に難しい法華経を読めば容易に理解できますよ。という誤れる筋の手口なのである。

そのために創価学会員は御書をあまり読まずに先生の解説スピーチ集を一生懸命に読んで仏法を理解したつもりでいるが、実はこれは誤りの理解を得て逆に苦しむことになるのである。「立正安国論」によればこれでは世界平和も日本の安穏も無くなり他国から責められるのである。創価学会・公明党の責任は実はこの仏法の誤りにあったということだ。

日蓮大聖人の御書を人師の私言を基として解釈する宗教団体である創価学会の正体とは、つまり日蓮大聖人の御書を学ぶのではなくて、池田会長の言葉(スピーチ)を学ぶ団体だということなのだ。

次に、この日蓮大聖人の「立正安国論」に出てくる、客人の主張である「先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし」(前掲書749頁)の箇所だが、この箇所を講義解釈した前述の池田大作著「立正安国論講義」によると、「国が亡び、人が死んでしまったならば、仏法を信奉することができない。まず国家、社会を安定して、しかるのちに仏法をたてるべきであるとの客の言葉である。」(前掲書 761-頁)と、池田の解釈もここでは一応は「客人」の言葉なのだと明言している。

ところがこの箇所は、「日蓮大聖人御書 五大部」(監修 池田大作、編者 創価学会教学部 創価学会発行昭和50年5月3日)では次のように、解説されている。 この「池田大作、編者 創価学会教学部 創価学会発行」の「日蓮大聖人御書 五大部」では不思議なことにこれは「御書」となっているのだが、実際には半分以上の頁数は注釈と解説の文が混在されてでできている著作である。日蓮大聖人の「御書」というタイトルだが、内容は解説書と合本になってできている。つまり池田の解説書と日蓮大聖人の著作物が一本となってできているわけだ。

この著作物で私的な解説を盛り込んでみせた著者は「我々が宗教的信念に基づいて、平和運動を推進しているのは、ここによっているのである。」と、前述の池田大作、編者 創価学会教学部 創価学会発行「日蓮大聖人御書 五大部」332頁)でいっている。この文の、「ここによっている」とは、この直前の文(331頁)によると、同書の日蓮大聖人の御書本文の箇所(本文の30ページの部分)のことで、創価学会の運動論の基本的原理が「ここ」を根拠としていると言っているのである。

つまり「ここ」とは、「而るに他方の賊来って其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや。国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん。汝須らく一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を禱らん者か」(前掲「御書」の本文の30ページ)のことなのであるとしている。

「立正安国論」のこの御文の箇所をもって創価学会の世界平和運動の基本的原理を引き出してきているわけである。しかし、日蓮大聖人の御書を拝するに、この箇所の地の文は「主人」のものだが、「汝須らく一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を禱らん者か」の箇所は、客人の主張として理解すべきであろう。そうするとその前で主人が「若し先ず国土を安じて、現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし、忩(いそい)で対治を加えよ。」(前掲「御書」の本文の29ページ)といわれていることと矛盾なくつながるわけだ。

創価学会の編者たちの理解には無理な解釈がある。「汝須らく一身の安堵を思わば」の「汝」とは誰のことなのか?それは「客人」のことで「客人よ」といわれたわけある。「主人」が自分の話している文中でもって自分のことを「汝」とはいわないからだ。

当然のこと「立正安国論」は問答形式なので、「主人」に対する対告者である「客人」を指して「汝」といっているのは明らかである。したがって、「汝須らく一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を禱らん者か」(前掲書 )とは、「客人」の立場での主張というものを「主人」が要約して、それを貴方の言われるように「先ず四表の静謐を禱(いの)るべきものなのか」と客人の立場に疑問を呈しているわけである。このように理解するとその前の主人の言葉との整合性も取れるのである。

既に見たように、池田大作著「立正安国論講義」において、「国が亡び、人が死んでしまったならば、仏法を信奉することができない。まず国家、社会を安定して、しかるのちに仏法をたてるべきであるとの客の言葉である。」(前掲書 761-頁)と、池田自身もこれは客の言葉なのだと解釈を下しているわけだ。

日蓮大聖人の「立正安国論」において「主人」と「客人」との間で何が問題になっているのかというと、国土安穏天下泰平の実現には宗教の正邪を判別し誤りを糾すことが先なのか、それとも四表の静謐という(世界の平和・安定)が先なのかということである。これがそのまま日蓮大聖人と念仏法然の立場の相違点でもあったのである。創価学会はこの二つの立場の間で認識が揺れ、ついに「立正安国論」の解釈の次元で誤魔化すことで、法然の弟子になってしまったということだ。

つまり、この「先ず四表の静謐を禱らん者か」の箇所が、「客人」の主張であるわけだが、それを主人の主張だと誤った解釈をしてしまったのが創価学会だということである。この念仏法然に影響された「客人」の主張である先ず四表の静謐を実現させてから、つまり戦争が無くなって世界が平和になった後に宗教の正邪を糾し棟梁を決すればよいという誤まった立場を創価学会は選んでしまったのである。これを世界平和・反戦運動という公明党を出現させる王仏冥合の原理的根拠としてしまったわけだ。

それは創価学会・公明党が平和団体としての活動を正当化させるのに好都合な解釈だったともいえる。誰の眼にも無理があったのである。その無理を隠すためには、この理論の出典となったつまり日蓮大聖人の「立正安国論」そのものを解釈次元で主客倒立させた別釈を創り出す転倒解義が必要であった。こうして摩り替えのトリック(呪術)が会員の絶対的な価値となって、池田大作名誉会長のスピーチによってしか日蓮大聖人の「御書」は正しく理解できないのだと学会員を呪縛したのであった。

そのために創価学会は日蓮正宗の仏法とは合わないのである。日蓮大聖人の御書を基としてではなく、謗法の念仏法然先生の立場を継承する「客人の言葉」でもって創価学会の運動論の基本を立てたのであった。これが創価学会のいう仏法なのである。

「悪魔の法然」と日蓮大聖人は御書でいわれているわけで、それに従えば盲目にされ蕩かされて無間地獄へと連れられていってしまうということだ。それは日蓮大聖人の仏法を信仰しているようだが、実はそうではなくて別のものを拝んでいることになってしまうのである。

そのような誤れる教えを基にした宗教が蔓延すると三災七難・飢饉疫癘(ききんえきれい)という戦争や災害を万里の外より招き寄せてしまうことになるわけだ。(本文の初出 /2011年9月4日 )


福島原発の「宗教的原因」 戸田城聖の遺訓を破る創価学会 放射能汚染問題の根本原因

創価学会・公明党はその思想的創立者の一人であった戸田城聖の遺訓に従って日本の原発をサタンの所作として批判しなければならなかった筈だ。しか し、「反核・反戦」から「不戦の戦い」の運動論へと展開する中で、次第に原発を核の平和利用と捉えかえて放射能汚染や原子力発電基地建設には反対をしてこなかった。戸田城聖の遺訓は破られた。これが福島原発事故の宗教的・政治的な根本原因である。創価学会・公明党の失策だったと鑑みる。他党や他の宗教と異なり、この創価学会・公明党は戸田の遺訓である昭和32年9月8日 の「原水爆使用者は死刑に」と題した横浜三ツ沢競技場で開催の青年部東京第五回体育大会での講演の思想後継の体現者である。これを創価学会・公明党は本来ならば恩師第二 代会長の遺訓の第一としなければならなかったのである。

福島放射能汚染は戸田城聖の原水爆禁止宣言の事ではなかったか?

ヨウ素131の半減期は8日だが、セシュウム137の半減期は30年であり、福島避難の地域では数十年あるいは100年に渡り無人になる他はないと、小出裕章京都大学助教授は「原子力村の大罪」(KKベストセラーズ 2011年)の中で書いて、被爆や放射能の恐ろしさを指摘されている。もし、広島や長崎の放射能の恐ろしさを創価学会の戸田城聖のように理解して、その後の創価学会や公明党の弟子たちがその使用禁止を叫んで、批判し続けていたのならば福島の原発事故汚染及び二次被爆は起こらなかったのだと考えるのである。

それをすべき使命を受けた人々が、原発基地建設に協力してしまったのである。それは何故そのようなことになったのだろうか、一つには原発の平和利用は広島や長崎の原水爆とは無関係だという誤った認識が広がっていたのではないだろうか。つまり戦争になれば核弾道弾に原水爆が搭載されて使用される可能性があり危険だが、「世界平和」が維持されて戦争が無ければ原子爆弾は使用されずに放射能の被害は避けられると考えていたのだと思う。

そこに、「不戦の誓い」という新たな方針が打ち出されて、戸田城聖の宣言したような原爆を使用した者はすべて死刑にすべという厳格な反原水爆の思想というものが退化していったのだと見る。創価学会の原子爆弾禁止の思想が、ここに到って誤った論理に踊らされて後退してしまったのだ。

これはどういうことかというと、創価学会・公明党の人たちが慕う日蓮大聖人の著述(御書)の中には、国家・社会の安穏の実現と宗教的な正邪との関係性を論じている箇所があり、その誤れる論理とはどういうものかを書き顕わされているので以下に引用する。

「立正安国論」(平成新編244頁、全集26頁)の箇所で、「所詮天下泰平国土安穏は君臣の願ふ所、土民の思ふ所なり。夫国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先づ国家を祈りて須く仏法を立つべし。」とある。
もちろん、これは「客人」つまり「悪魔の法然」の論議の主張の箇所であることはいうまでもない。(「立正安国論」は主人と客人の対話形式で書かれている)

上掲載文の意味を簡単に池田大作流に説明してみるならば、戦争がもし起きたのならば、皆さんが拝んでいる御本尊も焼けてしまう。だから、天下泰平国土安穏が先ず大事なのだ。これを先ず祈るべきである。そうでないと戦争で信仰もできなくなってしまうという具合になるだろう。

つまり、創価学会の「世界平和」論や「不戦の誓い」運動路線というのは、このような日蓮大聖人の立場ではない「立正安国論」における客人の立場である法然という人の誤れる解釈を理論的根拠として押し出されてきたのである。つまり主人の主張と客人の主張とを摩り替えた誤魔化しの論議を、創価学会・公明党の人々が「立正安国論」を読み損なった指導者の主客転倒した解釈を鵜呑みにして信じてしまったことが原因なのである。

「邪正を弁(わきま)ふること無」く、「仏法の説を見ず」して、「法主人従」の格を主従転倒させてしまい、仏法が破壊されてしまったのである。つまり彼らは、「経を下し僧を謗ずること」によって、法然の立議である選択集の「捨閉閣抛」(しゃへいかくほう)を結果的には演じてしまったのであるといえる。

問題は、福島の放射能汚染・被爆のことだが、これは戦争によるものではなく、戦争とは無関係であったということである。戦争が起こることで核が使用され放射能汚染が起きたのではないのである。原子(アトム)は戦争に使用されたのではないのであった。

「不戦の誓い」があれば、世界が平和で戦争が無ければ、「原発の平和利用」には放射能被爆の危険はないとする考えを見事に裏切ったのが福島の事件であった。

現在の創価学会・公明党の考えとは異なって、戸田城聖の原水爆に対する思想には軍事利用は悪であるが平和利用は善だとする考えはなかったのではないか?

原子(アトム)に軍事利用と平和利用の二つを立てて、これを分離することで原爆の持つ本質である放射能汚染つまり被爆だが、これを許してしまったのには、後の創価学会の池田大作氏などの、「不戦の誓い」等に見られる原発の平和的利用を支持する解釈的な方向転換があったのだと考えられる。

政治家や科学者でも原発基地がなぜ危険なのかは福島原発事故を迎えてからでしか本当に理解できなかったようだ。日本には原爆の悪魔性を哲学的かつ宗教的に説明した者は少ないために、戸田城聖の原水爆禁止宣言の先見性に比し、それを後継できなかった後の創価学会や公明党などの思想的な乖離が非常に残念に思えるのである。(本文の初出公開日時: 2011年12月10日 @ 16:30)