2014年12月30日火曜日

福島原発事故の原因究明 戸田の遺訓に背く池田創価学会・公明党に思想的誤認があった


「世界の民衆は生存の権利をもっている」と語る
戸田前会長(神奈川、三ツ沢競技場。昭和32年9月)
聖教新聞の昭和52年9月8日に掲載された写真
福島の野菜が風評被害で売
れないという記事が面白いといったのは、「どうしたらいいのか」の自問に対する答が掲載されてないことだ。確かに原因の解決は今すぐにはできないと思う。今になにが原因であったかを糾明することによって未来には解決はあるはずだ。それを弁護士も市議会も目を塞ぎ逸らさせて現在の苦境だけをクリアーさせれば済むと考えていることが問題なのだ。これでは未来の生命たちの希望がつなげないのである。核の脅威と後遺症の恐怖は原子爆弾よりも福島原発事故ではより大きな被害をもたらしたわけだ。



そこがアトムの怖いところなわけです。もし創価学会・公明党が「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」と述べた、この戸田城聖の遺訓を守っていたならば、決して自民党などと同衾して原発基地開発に同意してこなかったはずなのです。そこに福島原発の事故を起こした原因があるのだと考えます。もちろん創価学会の第三代会長だった池田大作が原発の軍事利用でなく平和利用ならよいと許可をだしてしまた思想的誤認が引き金であることは言うまでもないことである。ここで創価学会・公明党が誤った路線に先生の心に随順して服従してしまったのです。福島原発事故の原因の核心とはこれで、宗教が社会を変えるという彼らの思想であるならばなおさら、この一点をとことん糾明し責任を追及しなければ、再度の福島が将来に起こるのは必然なのです。その時に日本の民衆は阿鼻叫喚の中で悔い悩むことでしょう。個々の野菜の売れ行きも大事だが、もっと大事なことがあるのです。
昭和36年10月12日 所版発行の
「戸田城聖先生 講演集 下」創価学会発行

「回復は難しい」「地域全体で訴える」「集団で申し立てる」・・・しかしこれは、みんな後の祭りにしか過ぎないのではないかと思う。「どうしたらいいのか」・・・「一度風評で被害で値段がさがったから、安全とわかっても今でも、市場で安く買いたたかれるのではないか」。「そんな懸念の声もある」・・・。これは茨城の野菜栽培農家の声である。






昭和36年10月12日 所版発行の
「戸田城聖先生 講演集 下」創価学会発行
「生産者は育てた野菜に自信を持っているが、できるのは値段が上がるのを待つことだけ。生産地だけを見て価格をきめるのは悔しい」と苦境を代弁しているというが、・・・これは全く可笑しな代弁だと思われる。どうしてこんな奇妙なる代弁が出てくるのか不思議な世相になったものだ。

そして代理人の原発被害救済茨城県弁護士団は来年三月の申し立てに向けて、風評と売り上げ現象の関係を示す資料を収集、精査中だ」と東京新聞に書かれていた。


昭和36年10月12日 所版発行の
「戸田城聖先生 講演集 下」創価学会発行
これは全くの消費者に対する犯罪ではないか。問題の解決にはなってない。同弁護団は農家の利益を、つまり保障を弁護するだけでしかない。たとえ風評だったとして、東電と和解したとしても、そんなのは福島原発の根本的な原因の解決にはなってないのである。これでは個々の木に囚われて森を見ないことになる。

そうではなくて福島原発事故の原因の思想的核心をトコトン明らめ糾明しなければならない。一つ述べさせていただくと、買い控え、買いたたき「悔しい」という茨城野菜生産農家はいう。この茨城というのは原発事故のあった福島ではないのであるが、被害を受けているのだ。

昭和36年10月12日 所版発行の
「戸田城聖先生 講演集 下」創価学会発行

ここの出身者に山口那津男という公明党代表がいる。公明党はその支持母体である創価学会の第二代会長戸田城聖によって、「諸君らに今後遺訓すべき第一のものを本日は発表いたします」として、世界の民衆の「生存の権利」を「その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と宣言された原爆使用禁止宣言は、アトムの脅威を示されたものなのです。

だから戸田城聖は「それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界にひろめることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります」と述べたのである。これに違背してしまった公明党・創価学会は師弟不二も血脈も切れてしまったのである。これが頸が切れているといわれるゆえんである。(前掲載引用文は、『戸田城聖先生口演集 下』 創価学会 発行 昭和36年から)