感電死した2人の少年ブゥナ・トラオレ君
(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の
記念碑(第五回追悼式)、後ろにミニャー弁護士
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仏時間3月16日14時から、ブルターニュのレンヌ高等裁判所では、2005年の仏郊外青年暴動の起爆剤となったといわれる警察に追われ変圧所に飛び込み感電死した2人の少年ブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の家族側が要求する裁判がやっと事件後10年たって実現した。裁判の争点は警察官の「救助義務の怠り」であった。事件当時は迷宮入りの感があった。 いよいよ天守閣での攻防戦に入り、裁判は5日間続いた。警察官には最低5年間の刑期と罰金75000ユーロ(約1120万円)の可能性がでてきていた。裁判では危険な状態にある人を警察が知りながら放任した「救助義務の怠り」が少年を死亡させた争点であったが、警察はきずかなかったとしているが、警察は少年たちを追跡していたことが同僚に携帯電話で連絡していたのであり、郊外の少年には該当しないということならば、人種差別がそこに存在するとも考えられる裁判になっている。
10年待たされた「移民少年追跡」裁判 感電死は警官の「救助義務不在」が移民の子供にはなしが今後の更なる焦点に
サルコジ前大統領が内務大臣の時に警察を指揮して戒厳令がこの事件からフランス全土に敷かれた。2人の警察も、これまで通常の勤務をしていて、事件は事実上なかったことにされていた。政治が変わり社会党政権になってやっと裁判の兆しが見えてきた。5年前の追悼集会ではこの裁判の弁護を引き受けているジャン・ピエール・ミニャー弁護士やベナ君の兄のジィエド・アデル氏は、私(飛田)に20年でも戦うといっていた。2015年3月のレンヌ裁判所前には支援団体やジャーナリストが集まり機動隊も出ていると報道されている。