2015年5月18日月曜日

レンヌ裁判所判決 2005年のクリシー・スー・ボワ少年感電死事件 警察官に「救助義務」無しで無罪放免

感電死した2人の少年ブゥナ・トラオレ君
(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の
記念碑(第五回追悼式)、後ろにミニャー弁護士
「非常に驚きで残念だ」ミニアー弁護士が答えた。三人の判事によってレンヌ裁判所で3月の裁判の判決が5月18日に出された。10年前の2005年にパリ北郊外のクリシー・スー・ボワの町で起こった死亡事件で、移民の子供の15歳と17歳の青年が変電所に警察に追われて逃げ込んだ。この感電死した事件で、多くの移民家族の共感を誘いフランス中に暴動の抗議と警察との衝突が起こっている。少年を追っていた2人の警察には危険な状態にある人を救う「救助義務」はないとして、無罪放免の判決が言い渡された。警察組合側ではこれで最終的な裁判結果が出たのだと喜んでいる。しかし国営ラジオフランス・アンフォのアナウンサーがすかさず、ジャン・ピエール・ミニャー弁護士に「今しがた、警察組合では裁判は完結したといったがどうなのか」と質問した。ミニャー弁護士は、われわれはこれで終わりではないと思っている。上訴して裁判を続けると発言した。判決がでた5月18日午後には、パリ北郊外のボビニー裁判所前には、レンヌ裁判所でのこの判決に抗議する大勢の人々があつまった。「理解できないことだ」「少年が2人も死んでいるのに、何もなかったがごとく装った」「自体は大きくなるだろう」「警察のイメージは下がった」などと意見が述べられた。クリシー・スー・ボワの現市長で事件当時の筆頭助役のオリヴィエ・クレイン(Olivier Klein)氏は、レンヌの裁判所の判決がでたこの法廷に立ち会った。「子供が死亡したことは本当にやりきれないことだ」「こんなのは本当に受け入れがたいことなのだ」と語った。そして「いずれにしても裁きの法廷は必要だ」「これは傷口を掻き立てるものだ」と評している。

仏時間3月16日14時から、ブルターニュのレンヌ高等裁判所では、2005年の仏郊外青年暴動の起爆剤となったといわれる警察に追われ変圧所に飛び込み感電死した2人の少年ブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の家族側が要求する裁判がやっと事件後10年たって実現した。裁判の争点は警察官の「救助義務の怠り」であった。事件当時は迷宮入りの感があった。 いよいよ天守閣での攻防戦に入り、裁判は5日間続いた。警察官には最低5年間の刑期と罰金75000ユーロ(約1120万円)の可能性がでてきていた。裁判では危険な状態にある人を警察が知りながら放任した「救助義務の怠り」が少年を死亡させた争点であったが、警察はきずかなかったとしているが、警察は少年たちを追跡していたことが同僚に携帯電話で連絡していたのであり、郊外の少年には該当しないということならば、人種差別がそこに存在するとも考えられる裁判になっている。

10年待たされた「移民少年追跡」裁判 感電死は警官の「救助義務不在」が移民の子供にはなしが今後の更なる焦点

サルコジ前大統領が内務大臣の時に警察を指揮して戒厳令がこの事件からフランス全土に敷かれた。2人の警察も、これまで通常の勤務をしていて、事件は事実上なかったことにされていた。政治が変わり社会党政権になってやっと裁判の兆しが見えてきた。5年前の追悼集会ではこの裁判の弁護を引き受けているジャン・ピエール・ミニャー弁護士やベナ君の兄のジィエド・アデル氏は、私(飛田)に20年でも戦うといっていた。2015年3月のレンヌ裁判所前には支援団体やジャーナリストが集まり機動隊も出ていると報道されている。