2015年7月27日月曜日

チュニジア議会が テロリストの死刑を決議 拘置も弁護士無しで14日間

チュニジア議会は満場一致でテロリスト法案を7月25日に殆ど全員一致で議決した。これによるとテロ行為で有罪になった者は死刑になる。同様にテロ疑惑者を弁護士無しで14日間拘置できることが決まった。168キロに渡るリビアとの国境をこえてチュニジア側に侵入してくるスラム主義国家(EI)の聖戦戦士たちに対抗できると喜ぶ議員もいるが、しかしこれによって、チュニジア人の人権が狭まり圧力を受けることになるとONGからは激しい批判の怒りが起きている。(パリ=飛田正夫 2015/07/27 2:48日本標準時

チュニジアは2011年にマグレブ諸国の先頭をきって民主主義への一歩を、一人の貧しい野菜行商の青年によって開始された。その時にフランスのサルコジ政権のミッシェル・アイオマリ法務大臣の家族4人は、独裁者ベンナリ前大統領の友人の事業家から豪華招待旅行を受けて、革命勃発の現場近くを旅行していたが、この民衆の胎動には気がつかないでいた。これはフランスが民主主義を標榜する国であるために、大きな反感を仏国民から受けることになったのである。

それでこの世間の評価を覆すためにフランスの誇るミラージュやラファール戦闘機を飛ばしてリビアの独裁者カダフィを爆撃することでイメージを変えようと決めたのが、サルコジ前大統領とその相談役の思想家ベルナール・アンリー・レヴィの二人であったといわれている。そのためにリビアのインフラは完全に破壊されて国家として立ち直れないでいる。リビアは不法密航者の絶好の魔窟となって、今度はヨーロッパへの移民・難民の集積地となって地中海でたくさんの遭難者をだしてしまった。

チュニジアは今、マグレブ諸国の民主化のモデルとして、逆にアフリカ・アラブ諸国のイスラム主義国家組織(EI)やイスラム聖戦主義者からは嫌われて、チュニジアの民主主義を破壊しようとテロが仕掛けられてきた。

チュニジアは6月26日にスース(Sousse)では39人の旅行者が殺害された。3月にはバルドー美術館で日本人らを含む21人の外国人観光者と1人の警官が殺害されている。