憲法は法であり、安倍は人である。人の言葉に法が従えば、国が敗れるのだ。法治国家は「法主人従」であって、「人主法従」であってはならない。日本が独裁化しているのは憲法を守らずに、「法」を軽んじ頼りにならない愚かな「人」の迷い言葉を主と立てて信じているからだ。これは創価学会・公明党が、日蓮大聖人の仏教を逆さまに読み解釈して、池田大作の「人」のスピーチを広めているのと同じことである。この池田の人の言葉を仏法の醍醐味の「法」の教えに交え摩り替えて広めるから、今日本国が戦争化するのである。日本国を守護するはずの諸天善神は正しい法味を得る事ができず飢えて日本国を離れ天上へ帰ってしまうために、その留守に乗じて悪魔がこの国に忍び込み国主を悩ませ翻弄するのである。これが「神天上の法門」というものである。(パリ=飛田正夫 2015/09/10 7:35日本標準時)
その為に日本国は戦乱を、遥か万里の外より呼び寄せることになり、国内が下克上になり内部抗争の騒乱が絶え間なく起こるのである。
国主とは安倍晋三首相であり、悪魔とは昔は「悪魔の法然」と「立正安国論」にある如く、仏法の味わいを取り替え解釈して創価学会員に食らわせた「池田大作」のことだと言えるだろう。
安倍晋三が靖国に参拝して、神道が拝むべき対象でないのに拝むから、仏教の味わいを失い狂うのである。つまり、八幡や天照大神は仏教の機能神でしかないのに、これらを「主」として仏教を「従」とする宗教を認めるところに、これは平和安泰を神に祈っても祈り方が転倒しているために、逆に戦争が外からやって来て、内には国がひっくり返る大騒乱が起こるのである。これを昔は下克上といった。
解決策は、「立正安国論」によると、万祈万善を修して平和安泰を祈願することよりも、戦争・国土狂乱の元凶である唯一のこの誤れる池田の創価学会・公明党を退治しなければならないというふうに、今の日本を見ると、拝すべきだと考えるのである。