「日蓮大聖人御書五大部」(監修 池田大作氏 昭和五十年五月三日発行 発行所 創価学会) |
池田大作は、「立正安国論」という日蓮大聖人の著作を利用して、「戦争のない社会」=「安国」実現の「平和論」を展開している。これを創価学会の平和路線の根拠にしたのである。この「立正安国論」の箇所であるが、この箇所を池田は、読み間違えて解説(332頁)しているのである。「立正」は日蓮大聖人の主張であるが、「四表の静謐」は日蓮大聖人の主張ではないのである。不思議に思えるかもしれないが、日蓮大聖人は、国家太平や平和安穏を直接的に祈ったり祈祷したりはしないのである。池田大作はもう口を開かないから、1975年の池田の話しをメッセージとして(参考記事参照)出したのだろう。本当に日本のことを心配するならば、なぜ池田大作の指導どおりに「公明党」が行動しなかったのかを知らなければならない。というよりは正しくはそうではなくて、「公明党」は池田大作の指導どおり動いてきたのである。池田・創価学会が日蓮正宗とうまくいかなくなって独自路線の「戦争阻止の為の平和運動路線」を開始したところから狂ってしまったことを知るべきだ。これは恒常的に世界や日本に戦争や戦乱の危機が存在しないとやっていけない「平和屋」の思想なのである。これを池田大作は「立正安国論講義」(昭和41年7月3日発行)という分厚い書物を書いてそこで論じている。「国土を失い、国が亡びてしまったならば、一体どこへのがれていけるであろうか。あなたはすべからく、一身の安堵を願うならば、まず一国の静穏、平和を祈るべきである。」(「立正安国論講義」987頁)この文は池田による、「立正安国論」の「通解」であり誤って作り変えている。ここは本当は、「国土を失い、国が亡びてしまったならば、一体どこへのがれていけるであろうか。あなたの主張であるように、一身の安堵を願うならば、まず一国の静穏、平和を祈るべきなのであろうか」と疑問形にならなければ、日蓮大聖人の主人の立場が一貫したものとはならないからだ。(パリ=飛田正夫 2015/09/03 0:50 日本標準時 )