2016年2月13日土曜日

シリアの独裁者アサドが テロ攻撃の現オランド政府を誤りだと批判

(パリ=飛田正夫2016/02/13 4:49日本標準時)12日、シリアの独裁者アサド大統領がフランスのシリアでのテロリスト攻撃を批判して、現在のフランスのシリアでのテロリスト攻撃政策が誤りだと批判した。この意味はオランド仏大統領が、アサド政権によるシリア国民弾圧をオランド政権が批判しているからだ。アサドがシリア市民26万人以上を殺戮し、国民の半数もの難民を生み出し国外流出させた責任者だと指摘しているからだ。このアサドの暴政が、シリア市民のヨーロッパへの難民を生んだ原因だとして、これを咎めてアサドに国外退去を要求しているという背景がある。今回のフランス政府での組閣で仏国民議長に就任した仏外相ロラン・ファビウスは、「アサドは地上に居る権利はない」とまで言っていたからだ。このアサドの市民に対する弾圧をこれまで支援してきたのがサルコジ前大統領でありプーチン大統領であった。アサドの今回の発言は、サルコジやプーチンと同じく「嘘」と「嘘」の論理でできているので、それを指摘しないと騙される。シリア内戦は、アラブの春の自国シリアへのドミノを恐れた親子二代に渡る独裁者アサドが、政権の座を崩されることを恐れ、オムスの町で開始されたアサドの政治に反対するシリア反体制派蜂起市民の抗議デモを鎮圧するために、アサドが市民に向けて大砲を撃ったわけだ。

12日の今回のアサドの発言を以下に紹介する。「我々はシリア危機の当初から、交渉策と政治的行動の余地があったと完全に信じていた。だからと言って交渉は、我々がテロリストとの戦いを停止することを意味しない。シリアには二つの側面が必要で、一つは和平交渉の側面だ。二つ目はテロリストを壊滅させる戦いの側面である。この第一番目の平和交渉というのは、第二番目のテロリスト襲撃の側面から独立しているものだ。ところが、現在シリアでフランスが採用している戦闘政策は逆になっていて、テロリストと戦うものになっていて、逆である。政治的対応の仕方が逆で、テロリストと戦うために変わっている。特に、フランス政府の誤った政治の為に、100人ほどのフランス人が死んでいる」

これは明らかに、アサド政府を支持してくれているサルコジの肩を持った発言で。現オランド仏大統領のシリアでのテロリスト空爆に対する批判である。しかしこの発言をよく見ると、アサドの話しは非常に手の込んだもので、フランス内政での外務大臣の栄転という機会を捉えたずる賢い知恵を働かした発言であることがわかる。

この、「戦争が先か」「平和が先か」という問題は昔から難しい問題でここに対立する論議がある。日蓮大聖人の「立正安国論」に於ける、「主人」と「客人」の対立点でもある。日本でもフランスでもこの「立正安国論」を正しく読もうとしない。創価学会・公明党などはアサドやサルコジ、プーチンと同じく平和論を誤魔化して構える「客人読み」の読み損ないなのであると思う。だれでも、「立正安国論」を紐解かれると分かるが、悪を糾すことを避けては真実の平和はないのである。

アサドを退治しなければ平和交渉は偽善になるということを知らなければならないだろう。先ずは平和交渉が第一番目なのであるといった誤った平和論議こそがアサドや創価学会の池田大作らの世界平和論なのである。だからアサドもここでいっているように、「我々はシリア危機の当初から、交渉策と政治的行動の余地があったと完全に信じていた。だからと言って交渉は、我々がテロリストとの戦いを停止することを意味しない。」となるのである。この発言の矛盾に気が付かなければ、平和を唱える者が戦争を把持していることを見抜けないのである。平和交渉が先だとする平和論者が戦争をするというのはこのことなのである。それは悪を破折し退治することを許すからである。アサドは自らの悪を隠し逃れようとしているのだろう。

誤れる政策論議こそ恐ろしいのである。それは彼らの主張が、「立正安国論」の中での悪魔の法然の思想を受けた「客人」側の「平和論」であるからだ。「平和」という万民を黙視させることができる目潰し旗を振れば、この飾り物の嘘言を魔に受けて誤解の落とし穴に簡単に堕ちる人は多いのである。悪を糾すことをしないからだ。だからシリアの独裁者アサド大統領らが、国民を多く殺害し、国外流浪の難民に落とし入れても、その悲劇を作り演じた責任者アサド等は許されて国内に居残れるのである。