2016年3月1日火曜日

根を切られた江南の橘の淮北に移されて自然に枳となりけるも身の上につみしられたり

もう何十年も前の話しですが、私がフランスに来て驚いたのは壁が厚いトンネルのような迷路を幾段も上って行ってその奥に部屋があるアパートに人が生活していたことです。私が住んでいた部屋も同じで、最上階の屋根裏部屋であった。そこまで行くには鍵を2度開けなければならなかったのです。まるで洞窟のなかを上がったり降りたりしていたのです。その螺旋階段は思想の迷路のようでもあり、それは長い旅のようなものだったかもしれません。

こういうことを繰り返して生活してますと、初めはその狭い迷路を行き来することがひどく息苦しくてしょうがなかったのですが、それが次第に好きになってしまうわけで不思議です。こんな言葉をその頃にしばしば考えていました。それは蘇武や李陵のような心境であったのです。故国に帰れるのか、帰れないのか?あるいは帰るのか、帰らないのか?という事であると同時に、それで自分が変わってしまうのか、それとも不変でいるのかという問題でもあったのです。

正確ではありませんが、次のような言葉を考えていました。根を切られた江南の橘(たちばな)の淮北(わいぼく)に移されて自然に枳(からたち)となりけるも身の上につみしられたり。そして、「我等衆生法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」という文でした。私は「此の法華経」を信じていたために、いつも根をつけて生き延びてこれたのだと思います。

一般には国が変わると石の家も木造となり米の食もパンとなって国や所の違いによって人の考えや思想も替わるというのが随方毘尼の方便権経の教えだ。この考えは所詮その人々の心を出るものではない為に、簡単に人々の心に受け入れられたわけだ。そのために小乗や権経が容易に摂受で世界に広まったのである。これに創価学会なども引っかかってしまったのである。多くの日本人が創価学会を折伏の団体だと考えているが、外国では特にフランスではそうではなくて、その反対の「摂受」であったのである。


一般にはこの根の無い者ともなればそれは枯槁(ここう)の衆生になるのです。日本に居続けた友人たちでさえも、何十年かが過ぎてみると、この枯槁の衆生になってしまった者が実に多いことに気が付きました。それは此の法華経を捨ててしまったからなのです。わたしは外国に来て、「此の法華経」のゆえに根を切られ枝を削がれたりもしましたが、それでも「此の法華経」を信じてきたが為に根をつけることができました。今、そういうことを想い出した次第です。

気付かれた方もおられるかも知れませんが、「此の法華経」というのは三種の法華経でいうところの日蓮大聖人の法華経である大石寺の三大秘法の南無妙法蓮華経のことです。

各種の日蓮宗派や創価学会は、この日蓮大聖人を御本仏とする五百塵点劫の当初(そのかみ)の仏の深い意味がわからなかった。そのために、戸田城聖の獄中の悟りでは、釈尊の相承の儀式を日蓮大聖人が受けらたと文上で解釈して言っているわけです。ですからこの 戸田城聖が妙悟空のペンネームで書いた「人間革命」(464頁)(精文館 昭和32年7月3日発行) において、日蓮大聖人の「三大秘法抄」の文を引用しても「・・・・・・」で文底の意味を伏字にして隠して引用しているので、戸田の誤りを隠蔽していることがわかるのです。だから釈尊の弟子としてしか日蓮大聖人を見られないのです。戸田城聖というのは、よくもこんな理解で創価学会の会長なんかやっていたものだと驚くのである。

戸田城聖が妙悟空のペンネームで書いた「人間革命」 
(464頁)文中の「巌さん」と主人公の戸田城聖の事だ。
(精文館 昭和32年7月3日発行)

戸田城聖の獄中の悟りの箇所で、日蓮大聖人の「三大秘法抄」の御文の文底の読み筋を削り取って隠し捨てているのが「・・・・・・」でわかる。以下に掲載したのが日蓮大聖人の「三大秘法抄」である。戸田の隠した「・・・・・・」の所が、日蓮大聖人の正しい主張であるので、御書をお持ちの方は取り出してご自身でしっかりと読まれてほしい。 

「二千余年の当初(そのかみ)」というのは像法千年、正法千年で二千年前にインド生誕の釈尊の当初ということです。これは戸田城聖が隠して「・・・・・・」部分にでてくる「五百塵点劫の当初(そのかみ)」とは全然別のものなので、注意してください。「五百塵点劫の当初(そのかみ)」に立てる仏とは日蓮大聖人のことなのですが、戸田城聖はそれが読めなかったのです。この戸田の書いた誤れる「人間革命」での理解が戸田城聖の獄中の悟りの実態であったのです。 


日蓮大聖人の「三大秘法抄」(平成新編1593頁/御書全集1021頁)


このような認識が転倒した大きな誤りなのです。と共に、戸田もその場所に日蓮大聖人と共に釈尊の前に並んでいたと妄想しているわけです。この戸田城聖の誤れる獄中の悟りが池田大作の創価学会の生命論の原点となったわけである。


戸田城聖が妙悟空のペンネームで書いた「人間革命」
 (465頁)(精文館 昭和32年7月3日発行)



創価学会はその始めには日蓮正宗に入り大石寺の御本尊様を拝していたが、釈迦仏法に堕ち たのは戸田のような誤った仏法解釈があったからである。

これは日蓮大聖人の仏法ではなく天台や釈迦の仏教になっているのである。だから創価学会は大石寺の三大秘法の南無妙法蓮華経を拝したくないだけでなく、戸田城聖や池田大作の邪義・邪説に騙されているために日蓮大聖人の仏法を正しく理解できないでいるのです。