「フランスの憂鬱」(清水弟著 岩波新書 240) |
本書40頁には、ユダヤ人墓地が破壊されたカルペントラ事件(90年5月10日)には清水氏は南仏の現場を訪ねたとある。
自殺してしまったベレゴヴォワ氏に89年に著者はインタビューした(64頁)。 ミッテラン時代にベルナール・タピ氏は大臣になった同氏は国民戦線に挑戦している(66頁)。
ジスカールデスタンはフィガロ・マガジン誌(9月21日)で外国人の国籍取得は、「居住者の権利」から「血統による権利」に変えるべきだと提案した(81頁)。
1880年代のフランスで人種差別などで殺されたり、重症をおわされたアラブ人は100人を超える報告もある(89頁)。
85年7月10日、ニュージーランドの港に停泊していた環境保護団体グリーンピースの核実験抗議船「レインボー・ワリアー(虹の戦士)号」が爆破され、カメラマン一人が死亡した」事件で、犯行は『フランス国防省の情報機関「対外治安総局」(DGSE)の機関員だった』 「軍当局が事件に直接関与していたことを認めた」(125頁) 74年5月のキッシンジャーとのパリ会談でジスカールデスタンは61年に米国と結ばれていた秘密協定の存在をそれまで知らなかったことが同大統領の回想録(91年)に明かされている。(180頁)など、本書の中にいくつか新しい発見があった。
118頁では「車を買うのも日本のようには行かない」と清水氏は言う。新車を買っても警察への車検手続き、ナンバー・プレートの取り付けは自分でやる。故障しても自動車修理工場は予約がないと受け付けない」、そしてそれを人々は苦にしてないようだと著者はいう。
「フランスの旧態依然としたサービスは国レベルの経済政策が、商店の客扱いに反映していても不思議はない」として、その店員の態度が、「一党独裁の共産党が指導したソ連」の「モスクワのデパートで買い物をしてみての印象と似ている」のだという著者の見解を出している。
この辺に3年間フランスに滞在した著者のミッテラン政権時代を中心に描かれた「フランスの憂鬱」の根源があるように思えたのである。
しかし2012年から再びオランド大統領率いる社会党政権になったフランスは、サルコジ前政権の移民、スト、デモ、失業に対する金持ちと企業本位の不平等な差別政策とは異なって、どこまでもフランスの共和制という価値を追及して行こうとするボランタリズムの政治態度だが、これは私には「人類の見果てぬ夢」などというユートピアではもちろんないし憂鬱にも感じられないのだ。
しかし2012年から再びオランド大統領率いる社会党政権になったフランスは、サルコジ前政権の移民、スト、デモ、失業に対する金持ちと企業本位の不平等な差別政策とは異なって、どこまでもフランスの共和制という価値を追及して行こうとするボランタリズムの政治態度だが、これは私には「人類の見果てぬ夢」などというユートピアではもちろんないし憂鬱にも感じられないのだ。