(パリ=飛田正夫2016/04/18 10:22日本標準時)キューバ革命のイコンとなったチェ・ゲバラの弟ジャン・マルタン・ゲバラ(Juan Martin Guevara)氏は最近フランスの出版社カルマン・レヴィから「私の兄チェ」(Mon frère le Che)という本をだしたので、4月12日に国営ラジオ・フランス・アンフォのラジオに招待され兄について語った。本ではラテンアメリカを駆け巡った兄ゲバラがカストロを支援して特にキューバ革命を行うチェ・ゲバラの回想が語られているという。来年2017年は、ボリビアのジャングルで死亡したゲバラの50周年記念を迎える。ジャン・マルタンと妹は兄チェのことを公的に明かさないことを誓っていたのが、どうして本を出して約束を違えたのか。50年後に意見を変えたのかをラジオでは話している。全部ではないが、スペイン語からフランス語への通訳の要点を紹介したい。
1)それは本当には約束というものではなかったのです。
―あなたは彼に関しどんな思い出を抱いているのか。
それは両方の心の中にしまわれたものであって、話して決めたことではなかったのです。
この本の生まれる一つの理由でもあり、また本の中心にあるのは、リーダーでもないしゲリアでもなく隊長のチェでもない。私が語ったのは私の兄のことなのです。そこには彼の子供時代があり、赤ん坊であり子供であった兄が、それが家族の中で大きくなっていく。彼はチェとして初めから生まれ出たのではない。当然その歴史には背景があり、それがこの本をより人間的にしているともいえます。
2)チェ・ゲバラの思想の軌跡
―どこからチェの思想や彼の行動の仕方が出て来たのか?
どのように彼の考えが発展したのかの鍵は、私の思うには、全くそれは、彼の歴史と伝記によっているが、同様に彼が未来の世代に何かを伝えようとする意志によっていると言えます。というのは、彼の思考が未来に向いているからです。この本は本当に若者と次の世代のためにある。私がこの本で言ったのはある意味で、世界は確実に変化するが、本質は変わらずに残っているということです。現在まで、技術や社会ネットワーク情報など、富裕者はさらに富を蓄えて上にあがり、貧困者はよりますます社会階級の下に追いやられている。私はそれを絶えず見て経験してきた。アルゼンチンで牢獄に8年間いた。
―あなたも関与したのでしょう。家族は活動家であったのですから?
家族は政治的なかかわりがあったし、わたしの家族だけがそうであったのではなくて、まわりの家族の周辺も全部そうで、そういう世代であって、政治的に関係していたのです。指導者たちとのその関わり合いは、直接的なものであったのだと私は思う。時間と共に次第に有名になって行ったのです。前に話しましたように、時代が変わり貧困が増大している。フランス革命を学んだが、新しい時代の人々にはロベスピエールはチェだということです。チェは、北アメリカに対抗したのではなく帝国主義と戦ったということだ。我々の家族はアルゼンチンであって、ラテンアメリカの見方でキューバではない。
3)チェの支配 自由と恐怖
―50年間のチュの支配で自由が踏みにじられて人権擁護からどうなのか。
私はキューバに住んでいたので知っているが、チュは独裁者ではない300万のアメリカ人が住んでいて、アメリカまでは250キロしかなく飛行機で25分の距離だ。経済的な包囲網を取り除き、米国人がキューバにやってきて米国との交流をすることは、チュの想いでもあったのではないか?それが彼の視線でありチュの顔である。彼の着た制服のことではないと弟は語った。
【参考記事】
http://www.franceinfo.fr/actu/monde/article/che-guevara-raconte-par-son-frere-781749