2018年1月12日金曜日

坂田昌一の思想はある条件下ならば 原子力核の研究は許される 池田大作の場合には蝦蟇法師法然が源流か

平和が実現していれば、核開発も原子核研究も平和利用であれば許されるので、だから平和が先ず先であって、人間の思想や宗教の誤魔化しや誤りを糾していては時間がかかり、戦争が起こってからでは寺院の焼け信仰などやっていられなくなる。世界の平和運動が先ずは先決問題なのだとしたのが池田大作の主張だったのです。これがどうして問題なのかは、ここで少しお話ししたように福島が起こり次の福島が起こってしまうからです。また、この池田大作の思想は日蓮大聖人の「立正安国論」の中に出てくる、法然の流れを汲む客人の思想であって、日蓮大聖人の折伏の立場ではないわけです。核の戦争の脅威は今や目と鼻の先に迫っている。これは池田大作が「立正安国論講義」の中で客人の立場を日蓮大聖人の立場と摩り替えて、そこから創価学会の文化平和路線を打ち出したからです。だから池田大作のことを蝦蟇法師法然に似ているといい、創価学会の源流がそこにあるのだというのです。
「放射能の下で科学者は何をなすべきか」(1961年の坂田昌一氏 論文)を読んで、私はハットさせられるのである。この論文をよく読むと、世界が平和であり全面完全軍縮計画が実現されている状況や条件の中であるならば、原子力核の研究は許されるという思想を読み取れるということである。これは創価学会・公明党の指導者である池田大作氏が創価大学で講演した内容と大変に似ていて相似しているということだ。とはいっても、池田大作氏は坂田昌一氏よりも後の発言である。ところがこれらの主張とは逆のことを、「原爆禁止宣言」を池田氏の先生である戸田城聖氏が昭和32年(1957年)にすでに、「原水爆使用者は死刑に」という講演で、「全面的核廃絶」の主張をしていたのです。これがいわゆる一般市民の理解する創価学会・公明党の良心であり創価の平和思想となっていたものです。創価学会ではその戸田の「全面的核廃絶」をひっくり返して池田大作氏が、平和な戦争のない社会では、核の軍事利用はよくないが、核の平和利用なら良いとして、反核の主張を捨てて創価学会の世界平和運動路線の中で、公明党に原子力開発を許してしまった。その池田大作氏の思想とは、坂田昌一氏と同じように、世界が平和であり軍縮実現という状況設定が整えば、条件が整えば核の研究や開発を許すという思想なのだ。両者は大変に似ているのである。(パリ=飛田正夫2015/10/13 19:44日本標準時)

そこで創価学会は池田のこのような思想変転からそれ以前の戸田城聖の反核思想を捨てたのである。世界平和運動を目標にするようになった。戦争が起こったならば寺院も焼かれご本尊様も無くなってしまう信仰などと言って構えていられなくなるのです。だから世界の安定平和が先ずは実現しなければならないのですと、日蓮大聖人の「立正安国論」でのご主張を逆立ちさせて、世界平和論を当時唱えた法然先生を支持してして、創価学会員を欺き蕩かしたのです。

その結果が公明党が原発開発を進める自民党を支持することになっていった。これまで反核勢力だった「公明党」がです。それは池田の思想の転向によるものだ。世界が戦争のない平和な環境が実現されれば核開発はやってもよいという、恩師戸田城聖とは全く異なる核に対する認識の大転換があったからである。この点では池田大作氏の考えは、坂田昌一氏の線に近いとも思われる。

坂田昌一氏の1961年の論文に、「放射能の下で科学者は何をなすべきか」(戦後思想体系4 筑摩書房)があったので、先ほどこれを読んでみました。『ラッセル=アインシュタイン声明に端を発したバグウォッシュ原子科学者会議がその中核であり、一九五八年に東西の原子科学者約七十名によって、歴史的な声明「ウイーン宣言」が発せられた。私たちはこの宣言のなかで核戦争とその準備の危険を説き、人類を共滅の危機から救うただ一つの道は局地戦争を含むあらゆる戦争を廃絶することであると強く訴えた。』 と本文にある。

この「ウイーン宣言」を坂田氏は説明される中で日本の原子科学者の二度の原爆投下を経験した立場から、これを支柱に「永続する平和の創造に努力せねばならない時機が到来した」と言っている。しかしこれが『私たちの楽観的な期待は次第に裏切られていった」(・・・)「平和の論理」の創造がいかに指南であるかをはっきりと教え、私たちに深い失望と憂慮を与えたのであった』 という認識に変わる。そして『非情な「戦争」の論理の支配から脱し、永続する平和の時代を迎えるための新しい論理を大いそぎで発見せねばならない」と主張する。その新しい「平和の論理」の発見は、坂田氏にあっては平和の創造に役立つ所での国際共同事業であり科学者間の国際協力ということになる。最後に原子力事業計画への坂田氏の見解が掲載されている。

少し長いが、重要だと思ったので最後まで引用しておく。『最近私どもは「三億円計画」と称する原子核研究の将来計画をたてつつある。このような巨大な計画は我が国の現状では多くの困難にぶつかるにちがいない。しかし全面軍縮計画が実行され、このような計画を平和の論理の中にくみ入れることができれば、その実現はきわめて容易になるだろう。今日私ども科学者にとって最も重要な仕事は、平和の創造という観点に立ち、全世界の科学者と協力して、あらゆる分野にわたっての科学の将来計画を全面完全軍縮計画の一環としてつくり上げることではなかろうか(一九六一年)』

これは、創価学会の池田大作が反核・反戦思想を捨て、また個人の人間の思想の誤りを糾す折伏を捨てた理由なのだ、世界に平和を実現するために世界の学者や政治家など有名人に平和を説く世界行脚の旅が池田の仕事になってしまったわけである。結果は池田のメダルは増えても、世界は益々戦争の危機が高ってしまったということです。