2011年3月11日金曜日

サルコジ大統領の移民対策の引き金、仏警察の「ロワール、ジタン青年殺害」事件が現場検証の調査開始

3月10日、ロワール渓谷の支流シェール川沿岸のサンテ・エィニヤン(Saint-Aignan)地区のテゼ(Thésée)の町で2010年7月16日に警官に射殺された「旅の人々」(les gens de voyages )と呼ばれたジタンの青年ルイジィ・デュケネ(Luigi Duquenet)氏22歳の殺害事件での現場再構成のための検証の写真資料収集がはじめて行われた。村の近くにはロワールの古城で有名なシュノンソー城もある。このジタン青年殺害事件とグルノーブルでのイスラム系青年殺害事件は共に警察によるもので、これらが7月31日にサルコジ大統領の有名な「移民子弟の国籍剥奪宣言」(※)の引き金となったと見られている。

現在も予防拘置下にある、警察に撃たれて死亡したルイジィ・デュケネ氏の義理の兄弟のミグエル・デュケネ(Miguel Duquenet)氏は出席しなかった。またこの殺害に関係した2人の警察も出席せずにその弁護士が来ている。

警視総監やオルレアン捜査支部の調査官が出席し、裁判所が移動したようであった。担当の検事は2つの調査を平行させて行うという。死亡した青年の調査と、警察が発砲する前に(青年たちの車が)走りだした危険性についてだという。

車を運転していたミグエル・デュケネ氏は警察の正当防衛説を拒否している。同氏は「警察が車を停止したかったのならば運転している自分を撃つべきだったのでは」と主張している。また同氏は狩猟でもするかのように射殺されたことに怒っている。

ミグエル・デュケネ氏は「訴えられているような強要された交通検問はなかったし、(警察との)追跡レースもなかった」といっている。

警察側の弁護士は「事件のあった道は細く、パトカーや警察がいるのを運転手は認めないはずはない」といっている。

写真によると国道(D176号)をテゼの村に直ぐ入った辺りで射殺事件が起きている。道は両者線あって狭くはないがカーブしていて人家の間を走っていて視界は長くはない。

青年の弁護士ジャン・クロード・グィデェセリー(Jean-Claud Guidicelli)氏は「パトカーの点滅ライトは停止していた」と強調しているという。